幸せってどんなもの? 2022年1月度座談会拝読御書「持妙法華問答抄」

創価学会では、毎月、全国各地で座談会という集いを開き、鎌倉時代の日蓮大聖人(1222年~1282年)が書き残された「御書」(論文や手紙など)を学び合います。機関誌の「大白蓮華」や「聖教新聞」には、その月に学ぶ「座談会拝読御書」を解説する記事が掲載されていますので、ここでは、信仰を持っていない方々にも理解しやすい視点から、青年部員が御書の内容を解説します。

こんにちは!1月度担当のひろかつです。身近な視点から日蓮大聖人の仏法の考えを学んでいきたいと思います!

いつもの生活の中で「幸せ~!」って感じるひとときって、何でしょうか?おいしいラーメンを食べたとき?あったかい布団に入った瞬間?わが子の寝顔を見たとき?仕事がうまくいって、厳しい上司から褒められたとき?「幸せ」と言っても、内容は人それぞれだし、年齢や時期によっても変わってきますよね。

では、仏法では現実社会における「幸せ」を、どう捉えているのでしょう?1月度座談会拝読御書「持妙法華問答抄」から考えてみたいと思います。

拝読御書について

「持妙法華問答抄」は、1263年(弘長3年)、日蓮大聖人が、不当な伊豆流罪(注1)を赦免された(ゆるされた)直後に、鎌倉で書かれたものとされますが、詳細は分かっていません。

(注1)伊豆流罪
日蓮大聖人が1261年(弘長元年)、不当に伊豆へ流刑された法難。前年に大聖人は「立正安国論」を北条時頼(前執権。事実上の最高権力者だった)に提出したが、幕府はそれを用いなかった。「立正安国論」で厳しく破折された念仏者は、鎌倉・名越にある大聖人の草庵を襲撃(松葉ケ谷の法難)。その後、幕府は不当に大聖人を捕らえ、伊豆国(静岡県)の伊東へ流刑に処した。

題に「持妙法華」とあるように、「妙法華(妙法蓮華経)」(注2)を「持つ」意義を示された御書です。質問者からの疑問に回答者(日蓮大聖人)が答えるという問答(対話)形式で書かれています。〝法華経の素晴らしさを分かりやすく伝えたい〟という真心を感じますね。

(注2)『妙法蓮華経』
サンスクリット語の『法華経』(サッダルマプンダリーカスートラ)を、406年に中国・後秦の鳩摩羅什が漢訳したもの。漢訳には、竺法護訳『正法華経』(286年)、闍那崛多・達摩笈多訳『添品妙法蓮華経』(601年)もあるが、鳩摩羅什訳がきわめて優れた漢訳として、最も広く用いられている。日蓮大聖人は、釈尊(ブッダ)の覚りがそのまま説かれた最高の経典として『法華経』を重んじられた。

初めの問いは、人間として生まれることは希少なことであり、仏法を聞くことはさらに難しい中で、仏になるためにはどのような法を修行すべきか?大聖人は、最も優れている『法華経』を修行すべきであると答えられます。

そして、釈尊が説いたとされるたくさんの経典の中で、なぜ『法華経』が最も優れているのかを明らかにされます。さらに、『法華経』への「信」(信じること)を貫き、南無妙法蓮華経という題目を自分が唱え、ほかの人にも勧めていくことが、人間として生まれてきた一生の思い出になると述べられています。

では、なぜ『法華経』の信仰を貫いて、南無妙法蓮華経の題目を唱えることが一生の思い出になるのでしょう?実はここに、仏法の大切な幸福観が隠されています。拝読御書の御文にそって学んでいきたいと思います。

現実社会は“清らかな場所”

本文

寂光の都ならずば、いずくも皆苦なるべし。本覚の栖を離れて、何事か楽しみなるべき。

(御書新版519ページ2行目~・御書全集467ページ16行目~)

意味

久遠の仏の住む永遠の仏国土でないなら、どこであっても皆、苦しみの世界である。生命本来の仏の覚りの境地を離れて、何が楽しみとなるだろうか。

語句の説明

・「寂光の都」
久遠の仏の住む永遠の仏国土。『法華経』如来寿量品では、この現実世界が久遠の仏の永遠の仏国土であり、妙法への強盛な信によって、その真実を覚知し、功徳を享受できると明かしている。

・「本覚の栖」
久遠の仏の本来の覚りの境地。それはあらゆる生命に本来そなわる仏の覚りの境地でもある。

私たちが住む現実の社会は、うれしいことや楽しいこともありますが、悲しいことや苦しいこともありますよね。「幸せ~!」って感じることがあっても、世の中は変化していきますので、いつかは終わってしまいます。あったかい布団に入ったとしても、時間が来れば起きないといけません。仕事の成功でほめられても、また次の課題がやってきます…。

良いことが過ぎ去るだけではありません。私たちには、何かに執着してしまう傾向もあります。ひとときの幸せを味わって、それを追い求めすぎると、かえって苦しむことさえあるんです。釈尊はこうしたことから、「一切皆苦」、つまり、すべてのことは苦であると捉えました。

でも、そんな現実社会を異なる視点で捉えているのが『法華経』です。私たちが住む社会は、実は「寂光の都」、仏が住むほど清らかで安穏な場所であると説明しています。

…とはいっても、現実にはそう感じられないですよね? だからこそ、この御書で大聖人は、「本覚の栖」という、私たち自身が本来持っている尊い仏の境地を開いていくことによって、すべてを苦ではなく楽として捉えていけると仰せなのです。

たとえば、同じ仕事をしていても、ある人は不平不満を言っているのに対し、別の人は前向きに働いているようなことってないでしょうか? 同じことをしているのに、その人の心の状態によって、仕事の見え方も、働き方も、もちろんその先の成長もまったく異なってきますよね。

現実社会を生きる中で、仏の境地、言い換えると、何があっても負けない前向きな心を引き出せるのが、南無妙法蓮華経です。こうした仏の境地は、「絶対的幸福」(注3)とも表現できます。

(注3)絶対的幸福
創価学会の第2代会長戸田城聖先生は、幸福には「相対的幸福」と「絶対的幸福」があると述べている。相対的幸福とは、物質的に充足し、欲望が満ち足りた状態を言う。しかし、欲望には際限がなく、一時は満ち足りたようでも永続性がない。条件が崩れた場合には、その幸福も消えてしまうものである。絶対的幸福とは、どこにいても、何があっても、生きていること自体が幸福である境涯であり、外の条件に左右されない幸福と言える。

では、どうすれば、絶対的な幸福境涯をつかむことができるのでしょうか? その答えが、続きの文にあります。

絶対的幸福のための実践とは

本文

願わくは、「現世安穏、後生善処」の妙法を持つのみこそ、ただ今生の名聞、後世の弄引なるべけれ。すべからく、心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱え他をも勧めんのみこそ、今生人界の思い出なるべき。

(御書新版519ページ4行目~・御書全集467ページ17行目~)

意味

願わくは「現世は安らかであり、来世には善い所に生まれる」と仰せの妙法を持つこと、それのみが、この一生の真の名誉であり、来世の導きとなるのである。ぜひとも全精魂を傾けて、南無妙法蓮華経と自身も唱え、他の人にも勧めるがよい。それこそが、人間として生まれてきたこの一生の思い出となるのである。

語句の説明

・「現世安穏、後生善処」
『法華経』を信受すれば、現世では安穏な境涯となり、来世では必ず福徳に満ちた境涯に生まれるとの意。『法華経』薬草喩品の文。

『法華経』は、誰一人差別することなく、皆が仏になれることを説いた経典です。皆に等しく、尊い仏の境涯が眠っています。それを引き出せれば、何があっても負けない「安穏」な境地を獲得できます。

その眠っている仏の境涯を引き出すために、大聖人は、南無妙法蓮華経の題目を唱える修行を確立されました。南無妙法蓮華経とは、いわば仏の覚りそのものの名前です。この題目を唱えることによって、仏の境涯を引き出し、絶対的な幸福境涯を自分の手で開いていくことができるのです。それによって、私たちは「本覚の栖」にいることができ、現実社会は「寂光の都」となります。

いろんなことが起こる社会、日々の生活の中で、どんなことがあっても負けない力を、自分の中から引き出す。その方法を教えているのが日蓮大聖人の仏法です。現実から遠く離れたどこかに理想を追い求めるのでも、今の自分とまったく異なった人間になるのでもありません。

また、自分がその境涯になるだけではありません。まわりの人々にも伝えて、みんなの境涯も高めていくことによって、より良い社会を作っていくことができるんです! そうした自他共の幸福を広げていく行動が、社会に友情を広げる尊い行いであり、一番の思い出となります。

池田先生は「皆を幸福にできる人が、真に幸福な人である」(「聖教新聞」2019年1月9日付)と語られています。

幸福とは何かを考える時

「人間として生まれてきたこの一生の思い出」とは何かをテーマにしたとも言える小説があります。ロシアの文豪トルストイによる『イワン・イリイチの死』です。

この作品は、裁判官の主人公イワン・イリイチが、「死」と向かい合う過程で味わう心理的葛藤を鋭く描いています。

なぜ、自分が死ななければならないのか? もうすぐ死んでしまう自分の人生とは何だったのか? 死と向き合う絶望と肉体的苦痛の中、今までの人生を振り返り煩悶するイワン・イリイチの姿を通し、読者自身が「人間として生まれてきたこの一生の思い出」とは何かをリアルに考えさせられます。

はたして、イワン・イリイチは何を思ったのでしょうか。トルストイが描いた結論と、今回の御書を読み比べてみることで、仏法の視点をより深く学ぶきっかけになるのではないかと思います(ぜひ読んでみてください!)。

コロナ禍という、いまだかつてない危機に立ち向かってきた私たちは、今、幸福とは何かを改めて考える時にいるのではないでしょうか。

御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。

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