「宗教は政治に関わるな」という暴論が日本社会に「差別」と「分断」を広げる

「宗教は政治に関わるな」という暴論が日本社会に「差別」と「分断」を広げる

安倍晋三元首相が銃撃された事件に端を発し、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の問題が取り沙汰されている。

その報道に関連づけて、「政治」と「宗教」の関係を論ずる言説も増えてきた。

前提として、旧統一教会に関する一連の報道が事実ならば、同団体はもはや、「宗教団体」ではなく、「反社会的組織」である。ゆえに、この問題は「政治と宗教」とのテーマでなく、「政治と反社会的組織の関係性について」という題がふさわしいだろう。

だが、一部の評論家等は、今回の一連の騒動にかこつけて、法に則って活動を行っている「宗教団体」にまで矛先を向けている。その中には、正当な「宗教団体」の尊厳を傷つける、あまりに行き過ぎた表現も散見される。

最たる例は、「宗教は政治に関わるな」「宗教団体が政治に関わることは『政教分離』違反」というような、根も葉もない「暴論」である。

それは、信仰を有する全ての人を傷つける「暴力」であるのみならず、日本社会に「差別」と「分断」を広げる因子となってしまう。

その理由を二点述べたい。

宗教団体に対する差別意識

第一に、「宗教団体」と他の団体との差別意識である。

今回の銃撃事件の本質は、旧統一教会と安倍元首相を襲った容疑者を取り巻く環境にある。その本質から目をそらし、「ほら宗教は……」「そもそも政治と宗教が……」と、他の宗教をひとくくりにして議論を始める――ここに、悪意がある。

もし、今回の事件が宗教団体への怨恨でなく、例えば、企業への怨恨だったらどうだろう。

ある政治家が特定の企業の集会で挨拶をして、その企業が不祥事を起こしていたとする。

そのことが遠因となって、その政治家が銃撃されたとしたら、「ほら企業は……」「そもそも政治と企業が……」となるだろうか。さらには、「日本の企業は全て、政治と関わるべきではない」などと、他の企業もひとくくりにした話が展開されるだろうか――。

つまり、「宗教は政治に関わるな」という暴論の根っこには、「他の団体なら良いけれど、宗教団体だからダメ」という「偏見」「差別」意識が潜在しているのだ。

憲法14条に反する信仰者への差別

第二に、信仰をもっている人と、もっていない人との差別である。

「信仰をもっている人や団体は、政治に参加すべきではない」という意見がまかり通ってしまえば、信仰をもっている人は、投票権を失い、選挙にも立候補できなくなる。

改めて、日本国憲法の14条1項を確認したい。

「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と明確に謳われている。

ここでいう「信条」の定義には、「宗教上の信仰」も含まれている。

もし、LGBTQであること、黒人であること等を理由に、「政治に参加する」権利を奪われてしまった人がいたら、どう思うだろうか。差別への憤りが湧いてくるはずだ。

「宗教をもつ人は、政治に参加するな」ということは、それと同義の「差別」である。

人種、信条、性別を理由に、何人たりとも差別されてはいけない――憲法がそう明確に謳っているにも関わらず、厚顔無恥にも「信仰のある人間は、選挙に参加すべきではない」と堂々と語る人が、いまだいることに呆れる。

「政教分離」原則にも反する人権抑圧

選挙とは、私たち国民が政治に参加し、主権者としてその意思を政治に反映させる最も重要な機会であり、民主主義社会の礎を成す基本的人権の一つである。

それを、信条のいかんによっては「はく奪」さえしようとする言説は、それこそ、国家が信仰者の自由を抑圧し、「政教分離」原則に反する。

憲法20条で謳われている「政教分離」の原則とは、もともと、国家が、国民一人一人の「信教の自由」を保障するために、定められたものである。その目的実現のために、国家が特定の宗教団体を「優遇」もしくは「忌避」することを禁じているのだ。

つまり、「宗教は政治に関わるな」という暴論こそ、政教分離原則の目的に背いているのである。

イタリアのカトリック信徒団体「聖エジディオ共同体」のアルベルト・クァットルッチ事務総長は「近年、EUにおける宗教団体の価値はより一層高まっている」と語り、次のように述べた。

「庶民の生活に根差した活動を行い、多くの信徒を有する宗教団体こそ、EUの発展において、重要な役割を担えるとの期待が高まっています」

「日本では、いまだに『宗教家は政治に口出しすべきでない』ということを言う人がいるようですが、それは国家の成長を妨げる浅薄な言論です。宗教的思想を根本に、自らを律し、正義の信念に生きる者こそ、より積極的に政治に関わるべきです。私たちも社会参加を非常に重視しています」

2016年4月1日付聖教新聞

まさしく、「庶民の生活に根差した」視点で、多くの政策を実現し、この半世紀、日本の平和と繁栄に寄与してきた公明党。私たち創価学会青年部はこれからも、堂々と基本的人権を行使しながら、自らの政治的信念に基づいた活動を行っていきたい。

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