前進の証し 2024年3月度座談会拝読御書「兵衛志殿御返事(三障四魔の事)」

創価学会では、毎月、全国各地で座談会という集いを開き、鎌倉時代の日蓮大聖人(1222年~1282年)が書き残された「御書」(論文や手紙など)を学び合います。機関誌の「大白蓮華」や「聖教新聞」には、その月に学ぶ「座談会拝読御書」を解説する記事が掲載されていますので、ここでは、信仰を持っていない方々にも理解しやすい視点から、青年部員が御書の内容を解説します。

こんにちは。3月度担当のうっちーです。

パートナーの影響で最近、オーディション番組を見るようになりました。憧れの舞台での活躍を目指し、一生懸命歌って踊る若者たち。その熱意が画面から伝わり、ハマってしまいました。

ただ、いつも気になっていることがあります。それは、何次にもわたる審査の過程で脱落してしまったメンバーの「その後」です。あまり注目されませんが、挫けずに、また別の舞台で活躍していってほしいなと思います。

今回の拝読御書は、そうした人生の岐路に立たされた時、どんな振る舞いをすべきかを教えてくださっています。

拝読御書について

今月の御書は、「兵衛志殿御返事(三障四魔の事)」です。「ひょうえのさかんどのごへんじ(さんしょうしまのこと)」と読みます。

1277年(建治3年)11月20日、日蓮大聖人が56歳の時に身延で記され、武蔵国池上(今の東京都大田区内)に住む池上兄弟の弟・宗長[むねなが](兵衛志[ひょうえのさかん])に送られたお手紙です(宗長は、兵衛府[ひょうえふ]の「志[さかん]」〈四等官〉という官職にありました)。

宗長は兄・宗仲[むねなか]と共に、立宗宣言から間もない頃、大聖人の門下になったと伝えられていますが、真言律宗(注1)の極楽寺良観(注2)を信奉していた父・康光に信心を反対されていました。

(注1)真言律宗[しんごんりっしゅう]
叡尊[えいぞん]が密教の祈禱に戒律順守などを取り入れ興した宗派。弟子の良観[りょうかん](忍性)が鎌倉へ進出して幕府の権力と密接な関係を築き、非人組織の掌握、土木・建築、貿易事業を推進し、利権を獲得して権勢を誇った。
(注2)極楽寺良観[ごくらくじりょうかん]
鎌倉中期の真言律宗(西大寺流律宗)の僧・忍性[にんしょう]のこと。奈良の西大寺の叡尊[えいぞん]に師事した後、戒律を広めるため関東に赴く。1267年(文永4年)、鎌倉の極楽寺に入ったので、極楽寺良観と呼ばれる。幕府要人に取り入って非人組織を掌握し、その労働力を使って公共事業を推進するなど、種々の利権を手にした。一方で祈禱僧としても活動し、幕府の要請を受けて祈雨や蒙古調伏の祈禱を行った。1271(文永8年)の夏、日蓮大聖人は良観に祈雨の勝負を挑み、打ち破ったが、良観はそれを恨んで一層大聖人に敵対し、幕府要人に大聖人への迫害を働きかけた。それが大聖人に竜の口の法難・佐渡流罪をもたらす大きな要因となった。

今回のお手紙は、兄・宗仲が、信仰を理由として父から2度目の勘当を受けた直後に記されたものです。大聖人は、兄・宗仲よりも、弟・宗長を心配され、厳愛の励ましを送られました。その理由も考えながら、拝読箇所を学んでいきます。

“最も弱いところ”に現れる

本文

しおのひるとみつと、月の出ずるといると、夏と秋と、冬と春とのさかいには、必ず相違することあり。凡夫の仏になる、またかくのごとし。必ず三障四魔と申す障りいできたれば、賢者はよろこび愚者は退く、これなり。

(御書新版1488ページ4行目~6行目、御書全集1091ページ15行目~16行目)

意味

潮が干る時と満ちる時、月の出る時と入る時、夏と秋、冬と春という変わり目には、必ずそれまでと異なることがある。凡夫が仏になる時も、また同じである。必ず三障四魔という障害が現れるので、賢者は喜び、愚者は退くというのはこのことである。

語句の説明

・「凡夫」(ぼんぷ)
普通の人間。煩悩・業・苦に束縛され、迷いの世界で生死を繰り返す者。
・「三障四魔」(さんしょうしま)
信心修行を妨げる三種の障り・妨げ(煩悩障、業障、報障)と、信心修行者の生命の輝きを奪う四種の働き(陰魔、煩悩魔、死魔、天子魔)のこと。(詳しくは「三障四魔」〈sokanet教学用語検索〉

前半では、潮の満ち引き、月の出入り、四季の変わり目には、必ずそれまでとは異なる変化が起こることを示されています。

後半では、凡夫が仏になる時、つまり信仰に励んで、自身の内にそなわる仏の生命境涯を湧き出させていく時も同じであると仰せになっています。その時には、信仰を妨げる三障四魔という働きが現れるのであり、賢明な者は喜んで立ち向かうけれども、愚かな者は退いてしまうと述べられています。

この障魔の働きは、とても巧妙です。なぜなら、その人にとって“最も弱いところ”に現れて、信仰を妨げようとするからです。

池上兄弟でいえば、孝行すべき父親から反対を受けていたということであり、さらに兄・宗仲だけが勘当されたということです。

鎌倉時代の武家社会において、後を継いでいく長男が勘当を受けると、どうなるでしょうか。家督を相続する権利を失い、経済的な基盤も社会的な立場も失います。それによって、長男ではなく次男が後を継ぐことになります。

つまり、兄・宗仲が勘当されたことによって、もし弟・宗長が信仰を捨てて父に従えば、池上家の地位や財産は宗長に移ることを意味します。兄弟、とくに宗長の信心を破り、団結する兄弟の仲を引き裂こうとする狙いがある――本質を鋭く見抜かれた大聖人は、弟・宗長を心配し、強く励まされたのです。

また、信仰を続けることは、一見すれば親の意向に背くことになるため、ためらわない人はいないでしょう。しかし大聖人は、拝読箇所の後で、信仰を貫くことによって自身だけでなく親をも成仏へ導くことができるという、仏法の深い眼からの「真の親孝行の道」を示されました。

大聖人の励ましを受けた兄弟は、信仰において動揺することはありませんでした。結果、勘当という苦境を乗り越え、ついには父親も大聖人の門下となり、兄弟は真の親孝行を果たしたのです。

試練こそ成長の好機

今回のポイントは「試練こそ成長の好機」ということです。

できる限り困ったことや苦しいことは避けたい。そう思うのは自然な心情だと思います。しかし、バイクで走れば空気の抵抗を感じるように、目標に向かって進むからこそ困難に遭遇するのであり、それは前進している証し。大変なことが起こると、どうしても受け身になってしまいますが、本質は逆であり、成長のため自ら困難を呼び起こしていると捉えられるのではないでしょうか。

たとえば、オーディション番組。審査過程で脱落する可能性があっても挑戦していること自体が、すごいことです。残念な結果を受けて、落ち込み、怯んでしまうのか。それとも、落ち込んでも前を向き、より成長して次に進んでいくチャンスと捉えていけるのか。

私たちが仕事や家庭などで直面する困難も、日々の生活を営むからこそ起きるものであり、それに対してどう振る舞うかが大事になってきます。

池田先生は語っています。
「人生、だれにでも悲しみや苦難の山がある。それを、どう勝ち越えるのか。その山を乗り越え、勝ち越えた時、境涯は高まり、眼前に『無限の広野』が広がる。山が大きければ大きいほど、大変であればあるほど、乗り越えた功徳もまた大きい。だからこそ、苦労が財産なのである」(「大白蓮華」2014年3月号)

大変なことが起こった時こそ、前に進んでいる自分自身をほめ、さまざまな苦労も成長のチャンスと捉えていきたいですね!


今回の御書解説動画Gカレ! 2024年3月度座談会拝読御書「兵衛志殿御返事(三障四魔の事)」 もぜひご覧ください!

御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。

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#座談会拝読御書 #任用試験(仏法入門)

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