悩みがあるからこそ 2024年4月度座談会拝読御書「生死一大事血脈抄」

創価学会では、毎月、全国各地で座談会という集いを開き、鎌倉時代の日蓮大聖人(1222年~1282年)が書き残された「御書」(論文や手紙など)を学び合います。機関誌の「大白蓮華」や「聖教新聞」には、その月に学ぶ「座談会拝読御書」を解説する記事が掲載されていますので、ここでは、信仰を持っていない方々にも理解しやすい視点から、青年部員が御書の内容を解説します。

宮﨑駿監督の『君たちはどう生きるか』が米アカデミー賞の長編アニメーション賞を受賞しました。

母を戦争で亡くした少年・眞人(まひと)が、謎の青サギに導かれ、不思議な世界を冒険する物語です。監督自身の体験を盛り込みつつ、これまでテーマとしてきた生の厳しさや尊さを描いています。

監督は、かつてこう語っていました。

「基本的に子供たちに『この世は生きるに値するんだ』ということを伝えるのが自分たちの仕事の根幹になければいけないと思ってきた」(日本経済新聞2013年9月7日付)

現代は、気候危機や紛争、感染症、経済の低迷などによって先行きが見えないことから、国を越えて若者の間に不安が広がっているとされます。また、WHO(世界保健機関)が2022年に発表した報告書では、8人に1人がメンタルヘルスに問題を抱えており、最も多いのは「不安症」とされます。

一方、「人生100年時代」と言われ、技術革新によって人間の平均寿命を250歳にすることも可能だそうです。

まさに「君たちはどう生きるか」が問われている現代です。

今回の拝読御書「生死一大事血脈抄[しょうじいちだいじけつみゃくしょう]」を通して、どう生きるのかについて学んでいきます。

拝読御書について

「生死一大事血脈抄」は1272年(文永9年)2月11日、日蓮大聖人が51歳の時、流罪地・佐渡の塚原でしたためられ、最蓮房に与えられた御書とされています。

最蓮房は、天台宗という法華経を根本経典とする宗派の学僧(学問に優れた僧)でした。何らかの理由で佐渡に流罪され、大聖人に帰依したとされます。

この御書は、最蓮房が「生死一大事血脈(しょうじいちだいじけつみゃく)」という仏法の極理に関わる重要問題を質問したことに対する、大聖人からのご返事です。

「生死一大事の血脈」とは何でしょうか。「生死」とは、生と死を繰り返す苦しみのことであり、「一大事」とは根本の大事のことを指します。よって「生死一大事」は、生と死の苦しみを解決する根本の大事であり、万人成仏の法を意味します。

「血脈」とは、法が仏から衆生へ伝えられていくことを、親から子へ血筋が受け継がれることに例えた表現です。つまり、最蓮房が問うたのは、生と死の苦しみを解決する万人成仏の法とは何か、その法はどのように受け継がれるのか、ということです。

大聖人は本抄で、「生死一大事血脈」とは「妙法蓮華経」であり、その血脈を受け継ぐための信心の姿勢を示されます。それは①自身の胸中に尊極な仏の生命が具わっていることを信じる②持続・不退転の信心③異体同心の3点です。

今回学ぶのは、その3点を踏まえた上での本抄のまとめ部分です。

「信」が最も大切

本文

相構えて相構えて、強盛の大信力を致して、南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給え。生死一大事の血脈、これより外に全く求むることなかれ。煩悩即菩提・生死即涅槃とは、これなり。信心の血脈なくんば、法華経を持つとも無益なり。

(御書新版1777ページ1行目〜3行目、御書全集1338ページ8行目〜10行目)

意味

よくよく心して強盛の大信力を起こして、南無妙法蓮華経、臨終正念と祈念しなさい。生死一大事の血脈をこれよりほかに決して求めてはならない。煩悩即菩提・生死即涅槃とは、このことである。信心の血脈がなければ、法華経を持っても無益である。

語句の説明

・臨終正念[りんじゅうしょうねん]
臨終に当たり、正しい念慮(思い・考え)をもつこと。仏道を歩み続け成仏を確信し、大満足の心で臨終を迎えること。

・煩悩即菩提[ぼんのうそくぼだい]
煩悩に覆われている凡夫であっても、妙法を信じ実践することで、その生命に仏の覚りの智慧(菩提)が発揮できること。

・生死即涅槃[しょうじそくねはん]
生死の苦しみを味わっているその身に、仏の覚りの平安な境地(涅槃)が開かれること。

「生死一大事の血脈」とは、「臨終正念」を確信して、題目を唱えていくことだと教えられています。「相構えて」「強盛の大信力」との言葉から、生半可な覚悟ではなく、すさまじい「信」の心が伝わってきます。そうした実践の中で、「煩悩即菩提・生死即涅槃」が実現すると仰せです。

広く仏教の中には、さまざまな教えがあります。自身に絶え間なく湧き起こる煩悩(身心を悩まし煩わせる心のはたらき)を断ち切ることを目指す。別世界にいる絶対的な仏のもとに生まれ変わることによって苦しみから逃れ、救済されることを願う――。これらは、今の自分自身の状況・環境から、はるか遠く離れた理想を追い求めるものです。

一方、同じ「煩悩」や「生死」の苦しみを乗り越えるものでも、大聖人が示された「煩悩即菩提・生死即涅槃」は異なります。はるかに困難な煩悩の断絶や、来世での救済を願うのではなく、この一生のうちに、この身のままで、仏の尊い境涯を得られることを指しています。どんな悩みであれ、妙法の力によって、仏の覚りの智慧や安楽の境地に変えることができるのです。

そして「信心の血脈」、つまり南無妙法蓮華経を心から信じて実践していくことがなければ、法華経を実践していても悩みや苦しみは乗り越えられないと仰せです。

どんな状況にも希望をもつ

ここで注目したいのは、創価学会員が親しんでいる「煩悩即菩提」という考えです。

ともすれば“マイナス”とも言える悩みや苦しみがあるからこそ、信仰の力によって、自分を成長させゆく“プラス”の心がけと行動が生まれ、自身を向上させていくことができます。

そうした積み重ねを経ることで、自分自身のことを思うだけでなく、まわりの人たちをも思うように変わっていき、境涯が広がっていくと語る人もいます。

「悩みはないほうがいい」。私は以前、単純にそう思い、煩わしいことを避けるようにしていました。しかし、学会の先輩から、この御書の言葉をもとに「悩んでいるから成長できるんだよ」と言われた時、はっとしました。まったく世界観が違ったからです。ただ、信仰を積み重ね、はっきりそう実感できた時に、人間関係や自身の性格の問題が大きく改善していたことに気づきました。

だから“学会員は無敵だ”と、よく感じます。進路、経済苦、人間関係、深刻な病気などの困難があっても、ずっとくよくよすることなく前向きで、「全てのことに意味がある」「必ず乗り越えられる」と誰もが言うからです。

立ちはだかる困難に、ポジティブに反応するからこそ、自分自身の力が発揮されます。心持ちで生き方は大きく変えられる。その変化を生み出すのが日蓮大聖人の仏法です。

池田先生は次のように語っています。

「何が起こっても、それを楽しんでいく。いい方向、楽しい方向へ、前向きの方向へと受け止めていく。それが楽観主義であり、その究極が信仰である」「楽観主義の人は強い。いい方向へ、いい方向へと自分でとらえ、自分で『そうなる』『そうなってみせる』と決めることである」(『池田大作全集』第83巻)

不安なまま生きるのも人生。希望をもって生きるのも人生。同じ「生きる」なら、自分の力を最大限に発揮していきたいですね。


今回の御書解説動画Gカレ! 2024年4月度座談会拝読御書「生死一大事血脈抄」 もぜひご覧ください!

御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。

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