一人の一歩から持続可能な社会の実現を 『ごみ問題』から見えたこと

一人の一歩から持続可能な社会の実現を 「ごみ問題」から見えたこと

6月6日、創価学会の初代会長である牧口常三郎先生の生誕150周年を迎えた。学生の時に学んだ牧口先生の『人生地理学』には、身につけている服や我が子に飲ませるミルクなど、身近な所から世界との関係性を見出し、「郷土」から世界を捉える道筋が綴られている。

「自分と世界が繋がっている」という確かな事実に触れ、「だからこそ今いる場所で何をするかが、世界の未来を変えていくことになる」という実感を得たこの時の感動は、今、女性平和文化会議の一員として活動する心の支えになっている。

5月30日に開催した、関西青年部主催のSDGs連続講座では、「SDGsを我が事に」とのテーマで京都大学大学院 地球環境学堂の浅利美鈴准教授に講演を行って頂いた。氏が研究するごみの問題は、SDGsの各目標に深く関連するテーマだ。

昨年、環境省が発表したデータによると、日本のごみの最終処分場は、今からたった21.6年でいっぱいになるという(※1)。つまり、持続可能な社会を築く上で、ごみの問題は私たちが早急に取り組んでいかなければならない課題の一つなのだ。

そのためにも最も身近な家庭から出るごみに目を向けてみたい。
浅利氏によると、「家庭ごみ(燃やせるごみ)」の中で重量が最も多いのは食料品、いわゆる「生ごみ」だという。水分を多く含む生ごみは、焼却の際に燃えにくく、より多くのエネルギーを要する。また、平成30年度の農林水産省の生ごみ発生量のデータ(※2)によると、可食部分の廃棄物、いわゆる「食品ロス」は食品関連事業者と一般家庭でおおよそ1:1の割合で発生している。

つまり私たちの行動次第では大幅に改善させる事ができるということだ。私たちこそが、ごみ問題解決の鍵を握っているのである。だが、これを「我が事」と捉えるのは、なかなか難しい。

図1)ハイムーン工房 ギャラリー

講演の中で紹介された一枚の絵がある(図1)。そこには環境問題に意識のある一部の人は高いところを目指すが、ほとんどの人は階段があることにすら気づかず、お互いの格差が広がっていく様子が描かれている。この無関心の人たちに関心を持たせるというのだから容易なことではない。

例えば昨年よりプラスチックごみ削減のために全国で始まったレジ袋の有料化は、関心・無関心の枠を越えその影響力を大いに発揮しているが、金銭面でのアプローチよって行動を制限するといった方法だけでは、根本的な解決には至らないだろう。
結局は自らの意志で階段を登れる人を増やすことが持続可能な社会を築くには不可欠だからだ。最終的には、現代に生きる人々の価値観の変革が必要なのだ。

今、「Z世代」「デジタルネイティブ」と呼ばれるような若い世代の存在が注目されている。
幼い頃から、環境教育を受け育ってきている彼らは、「SDGsネイティブ」でもあり、循環型の社会を目指すこと自体に目立った反発心や違和感がないように思う。

彼らの知識や感覚、SNSでの発信力をもってすれば、大きなムーブメントを起こす可能性も期待できるだろう。しかし、そんな彼らにとっても、何もきっかけがなければ、SDGsを自らが発信すべきコンテンツだとは捉えられないのではないだろうか。彼らがSDGs推進の主体者となって最大限に力を発揮するためには、先に行動を起こしている人間が歩みを止めず、様々な方法で働きかけを続けることが肝要なのだ。

歩みを止めないというのは、簡単なようでとても難しい。自分の行動が世界にとってはあまりに小さく、意味の無いものなのではないかと虚しさを覚える時もある。だが忘れてはならないのは、“一人の人間は決して無力ではない”との信念であろう。

池田先生が小説『人間革命』の主題として綴られた「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」という、希望の理念を持ち、一人一人が今いる場所で行動を起こすことこそが、持続可能な社会を実現する力になっていくのではないか。

今こそ哲学を持ち、励まし合える友を持ち、勇気を持って行動を起こす一人の一歩が期待される。私もその一人でありたい。

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