それって「良い宗教」?「悪い宗教」?

旧統一教会の問題をきっかけに、2023年1月、 被害者救済法(法人等による寄付の不当な勧誘の防止等に関する法律)が施行された。

「だまされてしまった人」を救うための法律だが、そもそも「だまされないための対策」も必要だと私は思う。

“宗教嫌いだった私”の衝撃

多くの識者が指摘しているように、今回の件は「宗教の問題」と言うより、「反社会的な団体の問題」である。

被害をなくすためにも、一人ひとりが「正しい宗教観をもつ」「宗教リテラシーを高める」ことが本質的に大事ではないだろうか。なぜなら、宗教について無知なために、宗教の仮面を被った悪質な団体にだまされてしまうからだ。

私は創価学会3世だが、活動を始めたのは20歳の時だ。

詳細は割愛するが、それまで宗教は嫌いだった。そんな私が衝撃を受けたのが、「“良い宗教”と“悪い宗教”が存在する」ということだ。

「は? 宗教なんて名前や見た目が少し違うだけで、どれも一緒でしょ?」

これが、宗教嫌いだった私の率直な感想であった。

世界の8割が信仰者

キリスト教やイスラム教、仏教をはじめ、世界にはたくさんの宗教が存在する。歴史や文化は違えど、人類史において世界中のどこにでも宗教は存在してきた。

東京工業大学教授の弓山達也氏はこう指摘する。

「興味深い現象があります。それは、仮に社会から宗教コミュニティーがなくなったり、宗教を排除したりしたとしても、結局のところは“宗教的なもの”が現れてくるという現象です」

「第三文明」2022年12月号

つまり宗教は、人間の営みにとって、それくらい自然なものだということだろう。

国連の「世界人権宣言」では「信仰の自由」が謳われ、一部の国を除いて、ほとんどの国で認められている。

2020年の調査では、世界の宗教人口は約83.8%、無宗教が15.6%だった。(※1)

これだけ科学技術が発展した現代社会にあっても、世界の8割以上の人が何かしらの信仰を持ち、実践している。

ちなみに、この無宗教者が多い主な国は、中国や北朝鮮、エストニアなどの社会主義国・旧社会主義国であり、それ以外の国では日本が1位のようだ。日本人の6割以上が無宗教だという。こう分析すると、日本は世界と比べて少し異なる宗教文化を培ってきたと言えるだろう。

日本の “ちょっと特殊な” 信仰観

江戸時代、キリスト教排除の目的で「寺請制度」が設けられて自由な布教が制限されたことにより、現在の「葬式仏教」と揶揄される仏教界の原型が出来上がった。

明治以降は国民意識を統合するために神道が国教化され、結果として、無謀な太平洋戦争に国民を駆り立てている。

国家が宗教を管理し、「民衆を従えるための道具」として使ってきた歴史が、日本にはある。

戦後、日本においてもようやく憲法によって「信教の自由」が保障されたものの、すでに多くの人にとって、個人の人生観や生死観の根幹となり、独立した自己を築くという本来の意味での宗教は、身近なものではなくなっていたのだろう。

しかし冠婚葬祭をはじめ、初詣や七五三、地域のお祭りやクリスマスなど、宗教的行事はイベントとして文化になり、私たちの生活に馴染んでいる。最近ではスピリチュアルやパワースポットなどのブームもあった。

そういった意味では、「宗教的なことが好きな国」だとも思う。

ただ、他国の一般的な宗教観とは異なり、認識の上では「無宗教」というのが当たり前のようになっている。

人間を「強く」するのか「弱く」するのか

前述の弓山教授は、宗教の本来の役割として、次のように述べている。

 ① 人々をつなぎ合わせ社会を統合する
 ② 人々に善悪の基準や倫理観を与える
 ③ 人々に意味や価値、使命感を与える

多くの日本人にとって、これが「宗教の本来の役割」と言われても、肌感覚では実感できないかもしれない。

しかし実は、宗教が本来の役割を果たす時、人々と社会への影響は極めて大きい。一人ひとりが、より心豊かに、より賢く、より自由にのびのびと生きるために、宗教は存在する。

“宗教を信じる”ことが悪いのではなく、“悪い宗教を信じる”ことにより、個人の自由と幸福になる権利を奪われることが危ないのだ。

私自身は、創価学会の信仰を通して、人生が豊かになったと実感している一人だ。また、そう実感する人が多いから、この”無宗教文化”の日本においても、創価学会が大きく発展してきたのだと思う。

池田大作先生はこう記している。

アメリカの名門・ハーバード大学で「21世紀文明と大乗仏教」と題して講演した折、私は、宗教を持つことが、人間を「強くするのか弱くするのか」「善くするのか悪くするのか」「賢くするのか愚かにするのか」という視点を提起しました。

人間を「強く」「善く」「賢く」する――。これは日蓮仏法の真髄でもあります。人間不在が叫ばれて久しい現代社会にあって、この「人間のための宗教」がいよいよ求められています。


『未来の希望「正義の走者」に贈る』

人間を「強く」「善く」「賢く」する宗教を信じれば、その人の心や生活は豊かになるだろう。

しかし逆に、人間を「弱く」「悪く」「愚かに」する宗教を信じれば、その人の心は蝕まれ、生活は破壊されてしまう。

その宗教を信じた人間が、実際にどのように変わっていくのか。これが「良い宗教」と「悪い宗教」を見分ける一つのポイントだろう。

まとめると

いろいろ述べてきたが、宗教にも“善し悪し”がある。宗教リテラシーを高めることで、「宗教=怖い」と単純化することなく、宗教の仮面を被った団体を見極められるだろう。

法整備をはじめ、悪質な団体から人々を守るための仕組みが必要なのは言うまでもない。その上で、こうした団体にだまされず、より多くの人が心豊かな人生を歩めるよう、日本人は宗教リテラシーを身につける時が来ているのではないだろうか。

※1 世界の宗教人口割合(「地理総合」p.81図7) https://ywl.jp/content/zaa7S

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