【創価学会員が語る】二つの故郷
札幌市の創価学会員の家庭に生まれ育った私は、現在、東京・豊島区で、創価学会の活動に熱心に取り組んでいます。ですが、思春期の頃は創価学会に対して、あまりいい印象を持っていませんでした。
そんな私を変えてくれたのは、札幌時代にお世話になった、創価学会の男子部の先輩でした。
札幌の先輩の真心
中学生の頃、家でのんびりテレビを見ている時間帯に、その先輩がよく訪ねて来ました。
「今いいところなのに……」と思いながら、嫌々会っていたのを覚えています。
しかし、来る度に学校での出来事や悩みを聞いてくれ、次に来る時に、解決に役に立ちそうな資料を用意してきてくれました。先輩の真心に、「心から自分のことを心配し、思いやってくれているんだ」ということが伝わってきて、徐々に心の距離が縮まっていきました。
ある時には、私の悩みを解決するため朝6時に車で迎えに来てくれ、先輩の家で一緒に祈ってくれたこともありました。人のために行動する先輩の姿に素直に感動し、いつしか、この創価学会の信仰を真剣に試してみようと思い、活動に参加するようになりました。
豊島の仲間たち
大学を卒業した私は、豊島の地で社会人生活をスタートしました。都内の光学機器メーカーで海外営業の仕事に懸命に励む一方、創価学会の活動とは疎遠になりました。
自分のためだけでなく、他者の幸福のためにも行動する学会活動の素晴らしさは、札幌での経験から知っているつもりでしたが、多忙な日々の中、自分の時間を優先したい気持ちが勝っていたのです。
それでも、札幌の時と同じように、豊島の男子部の先輩や同世代の仲間が、私のことを気にかけ、何度も声をかけて、励ましてくれました。純粋に他人のために行動する真心を感じた私は、時間をつくって、少しずつ学会活動に参加するようになっていきました。
豊島の仲間たちとの学会活動が充実していく一方で、地元・札幌に帰りたいという郷土愛も、日増しに強くなっていきました。そのため、予備校に通い、公務員試験の勉強をしてきました。札幌市役所の試験に臨みましたが、結果は不合格。目の前が真っ暗になりました。
もう一度、公務員試験に挑戦するか、東京に残り、海外営業職としてのキャリアを築くか、真剣に悩みました。この時も、豊島の男子部の仲間が寄り添い、元気づけてくれました。その中で、豊島がまるで「第二の故郷」のように大きな存在になっていることを感じました。
自分自身の心の内にまっすぐ向き合う中で、最終的に、「世界で活躍する一級のビジネスマンに成長する」という目標を定めることができました。
その後、職場環境や給与など、具体的な条件を書き出して、その実現を真剣に祈りながら、転職活動に挑戦しました。昨年11月18日、願った通りの条件で、半導体機関連企業に内定。自分自身の努力は当然として、周囲の真心の励ましとサポートがあったからこその結果でした。現在、海外への出張にも行かせてもらうなど、充実した日々を送っています。
原点を忘れず、今いる場所で
確固たる人生の羅針盤を持つ創価学会の仲間と共に、喜びも苦労も共有する中で、私は立ち上がることが出来ました。深い絆で繋がった「仲間」を持つか持たないかの違いは、非常に大きいと感じます。
かけがえのない「仲間」がいる札幌と豊島は、私にとってはどちらも大切な「故郷」です。
いずこの地にあっても、自身の課題に真正面から取り組みながら、見ず知らずの誰かのことを本気で心配し、見返りを求めず行動できる人がいる。そして、その仲間たちと共に自分の住む地域で、自分のできる範囲で、社会のために行動していく。これが、創価学会の本質であり、孤独に悩む一人を救うセーフティーネットの役割を果たしていると感じます。
札幌での原点を忘れず、今いる豊島で全力を尽くす。それが、二つの故郷を持つ、今の私の挑戦です。