師を宣揚する“山本伸一”に

池田先生のご逝去から約3週間。驚き、悲しみに暮れたが、日に日に決意が深く強くなっている。
一部のSNSや三流週刊誌では、相も変わらず悪意に満ちた言説がたれ流されているが、それらを見るたびに、池田先生の偉大さ、師匠という存在の素晴らしさを改めて感じずにはいられない。彼らが好む、「カリスマ」や「教祖」などという陳腐な言葉では、捉えることも、推し量ることもできない師弟の絆が、この胸に迫ってくるからである。

ある男子部の仲間は、友人から「末端の会員なのに、そんなに悲しいんだね」と言われたそうだ。身近に接したことがないから涙なんて出ないだろうと思ったという。

私にとって、また他の同志にとっても、池田先生は誰にも代えることのできない「師匠」だ。出会いの有無など関係ない。人生の窮地にあって励まされ、自分を磨くための活力を、幸せをつかむための力をもらってきた。この一対一の絆は、たとえ師匠が旅立っても、永遠に変わることはない。

それは古今東西、どんな世界でも同じだ。日本画の巨匠・横山大観。彼ほどの大家にも、岡倉天心という師匠がいた。師匠が常に胸にいたのだろう。彼の言葉にこうある。

「私の全生活の中には、今なお先生の愛が生きている」(『日本人の自伝19』平凡社)

池田先生に勇気づけられた“思い出”が、先生の“心”が、この五体に漲っている。だからこそ、私は生涯を懸けて、恩に報いていく。
少し前、手に取った本の言葉が印象に残った。インドの初代首相ネルーが書き残した、師匠ガンジーの伝記。そのまえがきで、ネルーは師について記した。

「この人こそは一世の巨人であったし、また永遠に巨人である。この人と比べれば、それぞれの立場とそれぞれの時代においていかに偉大であろうとも、他の人々はすべて小人にすぎない」(『マハトマ・ガンジー』朝日新聞社)


師を称え、賞讃するネルーの言葉が、今、深く胸に響いてくる。私たち青年部も、師の正義を世界中に示し切っていく。無責任なメディアが何を騒ごうと、池田先生の業績は揺るがない。

歴史上、誰がこれだけの人を励まし、誰が平和のために命を懸けたのか。軽薄な学者や売文主義の週刊誌などに分かるはずもないが、全ての人に、そして後世に、正しく師の正義を知らしめていく使命を感じてならない。

先のまえがきで、ネルーは、師の驚嘆すべき事績をたたえつつも、後世には必ず「いろいろと粉飾されたり附け加えられたりして、われわれにはとても想像もつかないものにまでされてしまうであろう」と憂いもにじませた。

師の姿や言葉を直接は見聞きしていない若い世代にとって「すでに伝説的人物」になっているとも。時は刻一刻と過ぎていく。どんな偉大な人物も、身近に感じなくなれば、教科書の中の存在のように遠ざかってしまう。
だからこそだろう。ネルーは伝記の最後には、こう記していた。

「(ガンジーのように)われわれは同じ理想に向かって、同じ方法をもって努力しなければならない」(同上)

牧口先生・戸田先生を宣揚され抜いた池田先生の生涯。戸田先生が同志の胸に永遠に生き続けるよう、執筆闘争に挑まれた。いかなる難があろうと、心は常に恩師と一緒だった。逝去されてなお、先生は強く私たちを鼓舞してやまない。自身が、先生が示された“山本伸一”だと思えば、勇気が限りなく湧く。

先生は、小説『新・人間革命』の「あとがき」に「師の本当の偉大さは、あとに残った弟子が、いかに生き、何を成したかによって証明される」と。

人間革命のドラマは続く。師の真実を、正義を、叫び続ける生涯を誓う。

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