妻の一言が「私の子育て観」を変えた

妻から言われた衝撃の一言

私は現在、41才。小学3年の娘、幼稚園年少の息子、妻の4人家族です。幼い子どもを育てる一日一日は、まさに「激闘の連続」です。

仕事に家事・育児、そして創価学会の活動と、毎日が目の回るような忙しさ。うまくいかないこともありますが、学び・気付きも多く、充実していると感じています。

東京都が実施した「男性の家事・育児実態調査」(令和5年度)では、0歳児パパの育休取得率は約6割。ここ数年で男性の育休取得が普及しつつあります。ただ、全国で見れば、育休取得率は3割にやっと到達したところで、まだ道半ばといえます。

正直に言うと、かつての私は、育児に対して、なかなか積極的になれませんでした。もちろん子どもは大切ですし、かわいいです。ただ、以前の私は、仕事や学会活動でいっぱいいっぱい。心の余裕もなく、子育ての大半を妻に任せていました。

そんな私の姿勢を変えてくれたのは、妻のひと言でした。

「自分の家庭を幸せにできない人は、人を幸福にできないんじゃないの」

はっとしました。自分なりに家庭に尽くしてきたつもりでした。しかし、やはりどこかに「育児の主役は女性」という甘えがあり、妻に頼っていたのだと思います。

妻と子どもたちと向き合ってきたのか。家庭や未来のことなどを話し合えていたか。思い返せば、後悔と反省ばかりでした。「変わらないといけない」――私は、そう強く決意し、行動を開始しました。

実際に子育てに関わってみて

まずやってみたのは、少しの時間でもいいから家に「いる」こと。妻や子どもたちと触れ合う時間を大切にしようと考えました。

他にも、月1回は「家庭デー」を設けて家族とたっぷり触れ合う時間をつくったり、妻が会合に行く時は、その裏で子どもの面倒を見たり。「限られた時間をどう価値的に過ごすか」を考えながら、仕事や学会活動に向き合うようにしました。

例えば、会合に子どもと一緒に参加するようにしました。そうすれば、妻が自分の時間をつくれるだけでなく、子どもに対して「パパはなぜ学会活動をするのか」を話す機会にもなります。次の世代への信心継承にもつながると感じています。

そうした挑戦を重ねる中で、以前に比べて妻から感謝されることが増えた気がします。それと同時に、家庭がどれだけ妻によって支えてもらっていたのかを痛感しました。

また、子どもたちから直接、幼稚園や小学校のことを聞く機会が増えたので、今まで以上に成長を実感できるようになりました。

地域のつながり、特に子育てに奮闘している方との交流が増えました。子育ての悩みをお互いに共有するようにもなりました。

悩み続けることが、正解なのかもしれない

私が実際に子育てと仕事、学会活動の両立に関わってみて感じたのは、「模範解答はない」ということです。スケジュールの調整は常に頭を悩ませますし、うまくいかずに家族や学会のメンバーに迷惑をかけることもあります。

すべてを思う存分やり切りたい一方で、物理的には身体は一つ。「もっと○○ができたのではないか」と、〝もやもや〟することばかりの日々です。でもその〝もやもや〟は、学会活動も子育ても、全て頑張ると決めたからこそ、感じるものでもあります。そうして悩みながらも一歩ずつ進むことが、逆に「正解」なんだと思います。周りを見渡せば、そうした〝もやもや〟を経験し、それを他者への励ましの糧に変えている男子部の同志が、多くいることに気づきました。

御書に、

「智者とは、世間の法より外に仏法を行わず」(新1968・全1466)

という一節があります。私たちが仏法を励み実践する場は「現実の社会」であるという意味です。「社会のあり方」が変われば、男子部の「活動のあり方」も変わっていく。大切なのは、思考停止にならないことだと思います。

数年前の私の中では無意識のうちに、子育てと学会活動は別物との考え方がありました。しかし、子育てに真剣に向き合うようになってから、人間としての視野が大きく広がりました。これからも悩みは尽きませんが、挑戦を続けたいです。

あの時真っ直ぐに大事な言葉を投げかけてくれてありがとう――今、妻に心の底からそう言えます。

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