創価学会の会館では“何”が行われているの?
全国各地に存在する創価学会の建物
創価学会の会館を目にしたことはありますか?
日本全国には現在、1200以上の会館が存在し、大きな講堂から小さな施設まで、その規模はさまざまです。時折、学会の会館に入っていく大勢の人々を見かけたことがあるのではないでしょうか。
その様子を見て「中では何が行われているのだろう?」と思った方もいるかもしれません。創価学会の会館が、どのような場所なのかを紹介します。
なぜ学会の会館が建てられてきたのか
そもそも、創価学会の会館はいつ頃からどのような経緯で建てられてきたのでしょうか。
1970年代の高度経済成長期、日本社会は急速に変化しました。
大都市への人口集中によって、農村から離れて都市部で暮らす単身者が増加。集合住宅が次々と建設される一方で、地域社会における人間関係は希薄になっていきました。
こうした背景から、多くの団体、企業、コミュニティは、人々のつながりを持てる「場」を作るため、施設の建設を進めるようになります。それらの建物は、単なる活動の場にとどまらず、新しい社会的コミュニティの核としての役割を果たしていきます。
創価学会もまた、多くの会員が共に励まし合い、信仰を深める場として会館建設を推進してきました。小説『新・人間革命』には次のように記されています。
「学会はこれまで、総本山の整備をはじめ、宗門の寺院建立に力を注ぎ、学会の会館の整備は、後回しにしてきた。しかし、1972年(昭和47年)の正本堂の建立、そして、それに伴う周辺の整備が、ほぼ完了したことから、向こう5年間は、会館の建設など、学会の新しい発展の基盤づくりに力を入れることになっていた」
(『新・人間革命』第22巻「新世紀」の章)
このように72年以降、学会員の集う場として、各地で会館建設が本格化しました。当時、急増する学会員に対して、集う場所が不足し、遠方への移動や会場の確保に苦労していたことも背景にあったそうです。会館の建設は、学会員にとって大きな希望でもありました。現在も新たな会館建設が続いていますが、全国の会館の多くはこの時期に建設されたものです。
時代は移り変わり、インターネットの普及により、誰もが情報を発信し、世界中の人々とつながることができる「オンライン空間」が広がりました。こうした環境は、一見、壁のない“開かれた場”のように見えますが、実際には共通の価値観を持つ人々が集う“閉じられた世界”になっていることも少なくありません。そのような時代だからこそ、顔と顔を合わせることで信頼関係を築く「リアルな場」の価値が、改めて注目されています。学会の会館も、外に向けて開かれ、地域の人々と触れ合い、支え合う場として、今後さらにその役割を果たしていくことが期待されるでしょう。
会館は「地域に希望の光を照らす灯台」
会館では、信仰を深める会合をはじめ、打ち合わせや懇談など、多目的に利用されています。また、学会員以外の地域の方々が参加できるイベントや子育てのお悩み相談会といった、地域に開かれた取り組みも行われています。
たとえば、関西男子部では先月(2025年4月)、「青年ファミリー座談会」を各地の会館で開きました。参加者は男子部員のみならず、ご家族の皆さん、さらに普段、学会と接点が少ない地域の友人も会館に招きました。各地の男子部員が知恵をしぼりながら準備を重ね、難解な仏法の哲学を親しみやすく感じられる企画を検討。仏法用語を解説する漫才を行ったり、ユーモアあふれるクイズを実施したりと、どの会場も大盛況となりました。今後も、青年世代の参加者が自分の夢や目標に向かって一歩踏み出す勇気を持てる集いとして、定期的に開催していく予定です。
また、一部の会館は災害時に、地域の防災拠点としての役割も果たしてきました。例えば、阪神淡路大震災の際には兵庫池田文化会館などが、東日本大震災の際には東北文化会館などが、避難所として開放され多くの被災者を受け入れました。
池田先生は、会館の意義について、このように記しています。
「地域広布を推進していくには、地域の方々に、学会の会館はわが町の誇りであると、思っていただけるようにすることです」「地域を守り、繁栄させ、人びとを幸福にしていくための会館です。学会の会館は、地域の発展に寄与する灯台です。皆さんは、その灯台守の自覚で、会館を守っていってください」
(小説『新・人間革命』第22巻「新世紀」の章)
学会の会館とは、会員の「信仰を深める道場」であると同時に、「地域の交流拠点」「生命を守る防災の要所」としての役割を担うことができるのです。
建設が進む「関西池田記念大講堂」
2027年には、大阪・都島区に「関西池田記念大講堂」(以下、大講堂と記載)が新たに開館する予定です。建設地は、かつて多くの方が人生の門出を祝った「太閤園」があった場所であり、土地取得の際には、ニュースでも取り上げられ、話題になりました。
この由緒ある地に立つ会館だからこそ、私は“より一層、地域に愛される会館に”と願っています。
現在、この土地の歴史的価値や地域の方々の思いも踏まえて、保存・再整備が図られる予定です。早速、敷地の東側にあった高い塀は取り払われ、歩道が広がったことで、近隣住民の方々から、歓迎の声が寄せられています。
関西は、池田先生が「庶民こそ主役」であることを証明してきた舞台です。
1956年、池田先生が指揮を執った大阪支部は日蓮仏法の信仰を持つ喜びを広め、わずか1カ月で1万1111世帯もの学会員が誕生しました。これは今なお、「不滅の金字塔」と呼ばれる関西の誇りです。
同年、創価学会が支援する公明系議員が初めて挑んだ国政選挙(参議院選)では、大阪地方区で見事、当選を果たし、一般紙は「“まさか”が実現」との見出しで報じたほどのインパクトを与えました。
その翌57年、池田先生が事実無根の選挙違反容疑で不当逮捕されるという事件が起きましたが、4年3カ月に及ぶ熾烈な法廷闘争の末、完全無罪を勝ち取りました。この裁判が行われたのも、この大阪の地でした。
これらの歴史は、大阪のみならず、世界中の創価学会員・SGIメンバーにとって、人間主義の旗を打ち立てた大切な原点です。右や左といったイデオロギーが対立する中で、政治的谷間にあった権力を持たない庶民が、人々の幸福のために立ち上がり、勝利した歴史だからです。――その関西に、東京・信濃町の創価学会総本部に立つ「広宣流布大誓堂」と並ぶ、新たな大講堂が建設されることは、計り知れない意義と大きな喜びがあります。
池田先生は次のようにつづられています。
「一人ひとりの“信心城”“勇気城”“勝利城”の建設があってこそ、“広布城”たる新会館の完成になるんです。個人の人生の勝利なくして、学会の勝利はない。
学会の会館は広宣流布の本陣です。御殿ではない。本陣は、戦いのためにある。したがって、本陣の完成を最大に祝賀するものは、戦いの勝利なんです。」
(小説『新・人間革命』第26巻「奮迅」の章)
私は、学会員一人一人が幸福になり、家族や地域、職場など、所属するそれぞれの場で信頼を勝ち取っていくことこそが、会館の“真の完成”であると信じています。
私たち青年は、大講堂が完成した際、「建物も立派だが、そこで活躍する青年たちはそれ以上にすばらしい」と思ってもらえるよう、完成に向けて大きく成長を果たしたいと決意しています。
全国各地の会館は、その地域の学会員の皆さんが、地元を愛し大切にしながら創ってきた象徴ともいえます。もし近所で学会の会館を見かけたら、こうした背景や歩みに、少しでも思いを馳せていただけたなら、これ以上にうれしいことはありません。