メモA:議席譲渡は「無効」と最高裁

【「創価新報」転載 】
「東村山デマ事件」の真相  

1995年4月23日に行われた統一地方選挙。現職の朝木明代が所属する「草の根市民クラブ」から、新人の娘・直子と矢野穂積が東京・東村山市議選で初出馬した。直子は4位で当選するも、矢野は次点で落選する。

矢野は、ミニコミ紙「東村山市民新聞」の編集長を務め、朝木の活動を後方支援してきた人物。直子は当選3日後、「公約実現には私より適任」とし、次点の矢野に議席を譲る目的で千葉県松戸市に転居届を提出。記者会見まで行い、当選資格を“返上”したのだ。

市選挙会の審議の末、矢野は繰り上げ当選。この直子の行為が“議席譲渡”として地元市民から批判を浴び、新聞の全国版でも取り上げられるほど物議を醸した。

この件について、東村山市民の有志らは「余りにも意図的な議席譲渡は選挙民を欺く議席の私物化であり、到底、認められぬ」との趣旨で、矢野の繰り上げ当選を認めた都選挙管理委員会の裁決の取り消しを求めて訴訟。結果的に、最高裁判所は議席譲渡を「無効」(97年8月25日)と判断し、矢野はわずか2年余りで議員バッジを失った。