発達障がい(ADHD)グレーゾーンの〝僕〟といたしましては① 〜人間関係は減点制のトライアル〜

〝僕〟は、大学4年次に「ADHD(注意欠如・多動症)の傾向あり」と医師から言われた。
それまで感じてきた「生きづらさ」から、自分には人と親しく接する資格も、団体やコミュニティーの一員でいる権利もないと思っていた。

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人と知り合っては嫌な思いをさせ、ガッカリさせてしまうという経験が、〝僕〟には子どもの頃から何度もあった。

小学校の時は、遊びのグループに入ってもルールがうまく理解できず、ミスを何度も繰り返しては輪を乱した。
中学校の時は、友達と出かける待ち合わせの時間に、何度も遅刻を繰り返した。

せめて静かにしていようとすると、「〝僕〟くんは真面目そう」というイメージが付いて周囲から期待される。それに応えようと何かしてみれば、どんどんボロが出て、かけられた期待を次々と裏切っていく。もちろん、わざとやっているわけではない。

高校の時は部活動で部長になったものの、練習の場所取りを忘れたり、「忘れ物をしない」という部活内のルールを破ったりして、周囲のひんしゅくを買った。

その時の〝僕〟にとってコミュニケーションは、まるで減点方式のトライアルだった。
会話が滞ったり、トンチンカンな返しをしたりする度に点数が引かれ、持ち点が0になればお払い箱。

〝何人に迷惑をかけ、何人を不快な気持ちにさせて生きていかなければならないのか〟

祖父母から続く創価学会3世の〝僕〟。
こうした自分が嫌で、高校2年生の時、家にあった御本尊に題目を唱え始めた。
何を祈ってもいい──そう両親に聞いていた。
頭に思い浮かべていたことは、〝生きててごめんなさい〟だった。

学会には御本尊への唱題を通して、「智慧を湧かす」という考え方がある。
その時に感じている悩みに意味を見出し、その先の行動の糧にしていくことを指す。

当時の〝僕〟には、そんな概念は微塵もなく、ただ懺悔するような気持ちだった。
とにかく人に不快な思いをさせずに生きる方法を、その時は考えていた。
出した結論は、〝なにも否定しない〟ということだった。

〈②へつづく〉

ADHD(注意欠如・多動症)
→発達障害の一種。不注意、多動性、衝動性といった症状が見られる。

グレーゾーン
→診断はつかないが、発達障害の傾向はあるという状態を指す。

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