心の限界を超えて 2023年4月度座談会拝読御書「呵責謗法滅罪抄」

創価学会では、毎月、全国各地で座談会という集いを開き、鎌倉時代の日蓮大聖人(1222年~1282年)が書き残された「御書」(論文や手紙など)を学び合います。機関誌の「大白蓮華」や「聖教新聞」には、その月に学ぶ「座談会拝読御書」を解説する記事が掲載されていますので、ここでは、信仰を持っていない方々にも理解しやすい視点から、青年部員が御書の内容を解説します。

みなさん、こんにちは。4月担当のくまたです。

年度替わりで、新たなスタートの季節。私の職場には、新人が入るそうで、こちらもフレッシュな気持ちになります。

私は社会人になりたてのころ、一つ一つの仕事が思うようにはかどらず、「全然終わらない…」「自分に向いてないのかな」と落ち込んだことが多かったなと感じます。

でも、失敗も成功も経験を積んで、気付いたことがあります。新人時代は、ただ“がむしゃら”でしたが、今は、仕事の質でも量でも自分の「限界」が見えるようになったんです。そして、「限界」が見えるからこそ、それを突破して、アップデートしていく楽しみがあります。

何度もぶつかった限界を、あきらめのゴールではなく、成長の通過点に。そんな思いへ勇気づけてくれた御書「呵責謗法滅罪抄[かしゃくほうぼうめつざいしょう]」が、今回の座談会拝読御書です。

拝読御書について

「呵責謗法滅罪抄」は、1273年(文永10年)、日蓮大聖人が52歳の時に佐渡・一谷で著されたお手紙です。

この時期は、大聖人と門下に激しい迫害が加えられていました。大聖人は佐渡へ流罪。門下たちは追放や所領没収に遭っていました。その激しさは“1000人のうち999人が信仰を捨てた”と大聖人がつづられているほどです(御書新版1223ページ・御書全集907ページ)。

大聖人は本抄で、法華経を弘め、謗法(注1)を責めることによって大きな苦難が起こると指摘。そうした大難に遭っても、ひるまずに仏法を弘めていくことによって宿命転換(注2)できることを明らかにされています。謗法を責める(呵責する)ことによって罪を消滅させることができる――「呵責謗法滅罪」というタイトルは、ここから付けられています。

(注1)謗法[ほうぼう]
誹謗正法[ひぼうしょうほう]の略。正法、すなわち釈尊の教えの真意を説いた『法華経』を信じず、かえって反発し、悪口を言うこと。これには、正法を護持し広める人を誹謗する、謗人も含まれる。護法に対する語。
(注2)宿命転換[しゅくめいてんかん]
定まって変えがたいと思われる運命であっても、正しい仏法の実践によって転換できること。

さらに、門下が強盛な信心を貫く様子を聞いて感涙を抑えられないと記され、また、流罪に遭いながら生きながらえているのは、門下の真心の供養によるものであると、感謝をつづられています。

大聖人は、佐渡の地で流罪中であり、門下に会いに行き、励ますことができません。そこで、筆の力によって、今起こっている迫害の意義を明確に示し、純真な門下の姿をたたえられました。本抄の一節一節から、誰一人として不幸にさせないとの思いを感じられます。

そして、門下の無事を強盛に祈っていると仰せになり、本抄を結ばれた一節が今回の拝読範囲です。

門下を思う 強い祈り

本文

いかなる世の乱れにも各々をば法華経・十羅刹助け給えと、湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんがごとく、強盛に申すなり。

(御書新版1539ページ4行目~5行目・御書全集1132ページ10行目~11行目)

意味

どのように世の中が乱れていても、あなた方のことを「法華経や十羅刹女よ、助け給え」と、湿った木から火を出し、乾いた土から水を得ようとする思いで強盛[ごうじょう]に祈っている。

語句の説明

・「十羅刹」[じゅうらせつ]
諸天善神として、正法を持つ人を守る10人の女性の羅刹のこと。羅刹とは鬼神の意。『法華経』陀羅尼品で、『法華経』を受持する者を守ることを誓った。

「世の乱れ」とは、とても騒然としていた世情のことです。執筆の前年に北条家の内紛・二月騒動が起こり、執筆の翌年には蒙古襲来が起こりました。しかも大聖人の門下たちは、権力からの激しい弾圧を受けていました。

その中で大聖人は、「法華経・十羅刹助け給え」と門下の事を祈られています。まず、「法華経」について、大聖人は今回の拝読範囲の直前で「法華経の文字の各の御身に入り替わらせ給いて御助けあるとこそ覚ゆれ」(御書新版1539ページ・御書全集1132ページ)と述べられ、門下が真心の供養で大聖人を助けたことについて、『法華経』の文字が門下の身に入って、大聖人を助ける働きをしたのであろうと表現されています。そこで大聖人は、続けて、『法華経』に対して門下も守るよう祈られているのです。私たちの実践に即せば、『法華経』の肝心である南無妙法蓮華経の御本尊に祈ることです。

この「守る」というのは、どういうことでしょうか。次の「十羅刹」にヒントがあります。『法華経』の中で十羅刹は、『法華経』の修行者を守護すると誓っています。ですので大聖人は、その誓願の通りに門下たちを守護するよう祈られているのです。ここには、大聖人とその門下は、命を懸けて『法華経』を実践しているという、本物の「法華経の行者」としての自負と確信が表れていると言えるでしょう。

そして「湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんがごとく」祈るとあります。「濡れた木から火を出す」「乾いた土から水を得る」のは、不可能なことです。しかし、達成不可能なことをも可能にするという強い気持ちが、祈りにおいて大事であることを学ぶことができます。

日蓮大聖人の仏法における祈りとは、何かに頼るものではありません。“あきらめない強さ”を自ら引き出していくことであると言えます。

あきらめない人が伸びる

先日のワールド・ベースボール・クラシックで、決勝のアメリカ戦の試合前にチームメイトへ呼びかけた、大谷翔平選手の言葉が話題になりました。相手に多くのスター選手がいることを踏まえ、“あこがれるのをやめましょう。僕らは超えるために来た”等と語りました。これは、気持ちの面で限界を作らないことと言えるでしょう。

また、日本人の100m走の世界では、「10秒の壁」という言葉がありました。1998年に「10秒0」の記録が出て以来、約20年もの間、その壁を突破できませんでした。しかし、2017年に桐生祥秀選手が「9秒98」を記録すると、立て続けに2人が9秒台をたたきだしたのです。

ぶつかった壁を超えられない限界と感じ、「これ以上、無理かも…」という思いが芽生えてしまえば、知らず知らずのうちに行動も引きずられてしまいかねません。目の前の壁を超えるには、まず心の限界を突破することであり、そうすることで、すべての努力の真価を発揮していけるのでしょう。

池田先生は次のように述べられています。
「調子がいい時も、悪い時もある。それでも、どんな時も、へこたれないで、『また頑張ろう』と決意する。あきらめない。その人が最後には伸びていく」(1994年11月、創価学園創立27周年記念の集い)

大変な課題や壁にぶつかったら、それは、ぶつかるまで前進し、挑戦している証拠です。だからこそ「やってみよう」「必ずできる」と前を向き、自身の記録を更新していきたいですね!

御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。

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