落ち込みがちな日に―気分プチ上げフリーダム

こんにちは。梅雨の季節ってジメジメして、気圧の変化も激しくて、気分が落ち込みやすいですよね。最近は、「気圧予報」なんていうサイトもあるくらい、頭痛に悩まされている方が多いようです。

私もその一人。最近は会社に行くのがおっくうで、最寄り駅に着いた頃には家に帰りたくなっています。

とっておきのパワーワード?

雨の日に限らず、憂鬱な気分になることってありますよね。そんな気分をプチ上げする方法があったら試してみたいですか?

気分を上げる、とっておきのパワーワードがあるんです。

それは、「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」です。

「ん? お経……?」と、若干、引いたあなた、このページを閉じるのはちょっと待ってください。

実は、この「南無妙法蓮華経」には、気分プチ上げどころか、ものすごいパワーがあるんです。

なんと、「南無妙法蓮華経」と唱えると、祈りが必ず叶うんです。

すごくないですか。「ウソでしょ?」と思ったあなた、ホントなんです。

一言で言えば、気分プチ上げフリーダムです。いや、爆上げしちゃうこともありますので、気分爆上げフリーダムです。

 

祈りが必ず叶うなんて、私が勝手に言ってるんじゃありません。

今から750年くらい前、鎌倉時代に日蓮(にちれん)という僧がいました(創価学会では尊敬の念を込めて、「日蓮大聖人(だいしょうにん)」と呼んでいます)

仏教の教えは、もともと一つだったはずなのに、当時はたくさんの教えが広まっていました。〝ありがたい〟教えがたくさん広まっているのに、気候変動で食糧がなかったり、感染症が広まったりして人々は苦しんでいました。

このことを疑問に思った日蓮大聖人は、人々が幸せになれる正しい方法を求めて、8万4千あると言われる、仏教のありとあらゆる経典を読まれました(8万4千って、めっちゃ多いってことを象徴的に表現しているんだと思いますが、私なら読む前から心が折れそうです)

そして、「今、流行っている仏教の教えは実は間違っている。誰もが平等に幸せになれる方法はこれだ!」と宣言したんです。

それが、「南無妙法蓮華経」と唱えることでした。

 

ん? ……そんな簡単なの?

 

そうなんです。

この教えと実践は、1930年(昭和5年)に創立された創価学会(当時は創価教育学会と言いました)によって正しく受け継がれ、750年の時を経て、今、世界中に広がっています。

そう、「南無妙法蓮華経」は、世界共通語なんです。なんか、かっこええ。

日蓮大聖人は、「仏の教えを実践する人の祈りが叶わないことは、絶対にないのです」(御書新版592㌻・御書全集1351㌻、趣意)と断言されています。国籍も民族も関係ありません。誰もが平等に、です。

ウソだったらこんなに広まらないのではないでしょうか。少なくとも何かしらの効果があるのでは、と思えます。

宝くじは当たるのか?

じゃあ、「宝くじで3億円当たりますように」、こんな祈りは叶うんでしょうか……。

個人の感想ですが、そういうことじゃない感が漂っています。

日蓮大聖人は、どう説明されているのか見てみましょう。

大聖人は、「南無妙法蓮華経」と唱えることを、曇った鏡を磨くことに譬えられています。

曇ってしまって、ちゃんと映らない鏡も、きれいに磨けばピカピカになります。

同じように、自分のことを信じられない命は、曇った鏡のようなものです。

これを磨いていけば、必ず仏の覚りの智慧を映し出すきれいな鏡になる、と言われています(御書新版317㌻・御書全集384㌻、参照)

なんだか急に難しいこと言い出したな、と思われたかもしれませんが、どうやら、祈りが叶う、ということには、「自分自身が変化していくこと」が、関係しているようです。

「心のトレーニング」をしよう

仏教では、誰もが平等に無限の可能性を持っていると教えています。

さっき、「仏の覚りの智慧」と書きましたが、ザックリ言うと誰もが「仏様と同じ」ってことです。「……だから何?」と思ったあなた、続きがあります。

言い方を変えると、必ず幸せになれる、満足の生活を送れる、どんな困ったことがあっても負けない――そんな智慧や力を、もともと持っているということです。そう、あなたが、です。

まず、そこが信じがたいところですが、先に進みましょう。

 

さあ、大事なのは、自分が持っている仏様の智慧や力を引き出す方法、自分の中にある鏡を磨く方法です。

それは「南無妙法蓮華経」と唱えることですよと、日蓮大聖人は言われています。

「どのようにして磨いたらよいのでしょうか。ただ南無妙法蓮華経と唱えること、これが磨くということなのです」(御書新版317㌻・御書全集384㌻、趣意)

「南無妙法蓮華経」と唱えることは、自分自身が持っている限りない智慧、限りない力を引き出すことなんですね。

自分自身が持っている力を引き出すことによって、祈りを叶えていけるってことかなと思います。

いわゆる神頼みではなくて、努力が必ず何らかの形で実を結ぶ、というイメージかもしれません。

 

創価学会名誉会長の池田大作先生は、南無妙法蓮華経と唱える意義について、分かりやすく説明されています。

「自分自身の中にある『宝の蔵』を開き切っていく作業です。わが生命の大地に、生命力のわき出ずる泉を掘っているのです。こんこんと、くめども尽きぬ智慧と慈悲と勇気の源流を掘っているのです」

「毎日の『心のトレーニング』です。自分自身の生命を清浄にし、エンジンをかけ、軌道に乗せていくことです。心身ともに回転を促し、リズムを整えていくのです」(『青春対話1』〈普及版〉)

 

まとめです。

「南無妙法蓮華経」と唱え続けることで、「自分自身が持っている力を引き出す」という、内面の変化が起きてきます。自分自身の命をピカピカに磨いていく。

そうすれば、気分が上がるだけでなく、人生をより豊かに、より満足のいくものにすることができます。まさにフリーダム。しかも、「誰もが」「必ず」です。

このことは、「聖教新聞」の信仰体験のページを見れば分かります。なんとほぼ「毎日」掲載されているんです。それだけでも信頼できそうな気がします。

ぜひ、自分でも体験してみたいですね。

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#宗教 #仏法哲学 #ブディスタ