どろんこノート④~彼方に富士が

202△年〇月×日のこと。
「毎日を生きよ。あなたの人生が始まった時のように」。文豪ゲーテの言葉が好きなどろんこだんしは、“もう何年前だろう”と思いつつ春の構内を歩きました。すれ違う学生たち。整備されていくキャンパス。普段よりもゆっくりと景色を眺めながら。

後輩に会いに訪れた母校・創価大学。講堂の前に立つと、学生歌が胸に流れます。

「青山洋々かなたに富士が 雄々しき理想 馳せたる君に 不二の峯真白く 染まりて嵩し」
(創価大学学生歌 作詞:沖洋 作曲:川上慎一

時を経ても宝の思い出は色あせない。
あの日、緊張した心を引っ提げたまま、10人部屋に入寮した。
あの日、校舎を照らす中秋の名月を見つめ、創大を創立された池田先生に思いを馳せた。
あの日、病魔に打ちひしがれ、再起を誓った。

ここで僕の人生は始まった。青春の熱が、感謝が、決意が薄れれば、僕はもう、僕ではなくなる。率直にそう思う。

ふと、少し前に聖教新聞で読んだある記事を思い出した。創大草創期に大学の管理者を務めていたという壮年の、信仰体験の記事だ。

その壮年は、管理者になる前は、世界広布の志を胸にドイツの炭鉱で働いていたという。管理者として建学の汗を流した後は、戸田先生ゆかりの厚田墓園の管理者に。師匠の胸にたぎる炎を自らも燃やし、転戦また転戦の人生。

紙面には、厚田の海の前で、奥さんと肩を組んで歌を歌う写真もあった。どんな試練にも、誰が何と言おうと揺るがない。師弟のロマンに生きる喜びが、記事にはつづられていた。

高齢になられた今も、毎朝毎夕、仏間で新たに決意するそうだ。声に出して、師匠が目前にいるかのように。「先生! 私は先生の弟子です! 今日も戦います!!」と。青年の気概。とてつもなく圧倒された。

「行住坐臥」という言葉を思い出した。日常の振る舞いにおいてどんな時も、という意味だったと思う。SOKAnetの教学用語検索で調べると、こうあった。「日常における人の起居動作を四つに大別したもの。①行とは歩行すること。②住とは一所にとどまって立つこと。③坐とはすわること。④臥とは横になって寝ること。仏教では、行住坐臥を戒律にしたがって威儀を正して行うべきと考え、四威儀という。転じて、「常に」「間断なく」という意味としても用いる」

“常に心は師と共に”。言葉でいうのは簡単だけど、生き方に、現在の振る舞いに体現するのは難しい。反省を繰り返しながらも、師弟の人生を目指す自分でありたい。

池田先生はおっしゃっている。

「毎朝、私は胸中の先生にご挨拶し、『きょうも一日、弟子は戦います! 勝ちます!』とお誓い申し上げて出発する。不二の一念で、全国、全世界の広布の指揮を執り、夜には一日の勇戦の結果を先生にご報告申し上げる。その連戦が私の毎日であります。
恩師と出会って六十二年。行住坐臥、私は常に先生と一緒で戦い抜いてきました。恩師は、私の血潮の中に厳然と生き続けておられます。今世も一緒であり、三世にわたって一緒です」(『御書と師弟』第3巻 )

 
ホイットマン、トルストイ、ダ・ヴィンチ……数々の立像があるキャンパスを歩くと、胸の奥から熱いものが込み上げてくる。本部棟、寮を見た後、また講堂へ。前庭にはウズベキスタンの詩人・ナワイーの像が立つ。

ナワイーの言葉に、こんなものがある。この気迫でいきたい。

「師匠に百倍の賞讃と栄光でもって、我々は答えていくのだ」

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