ユニクロとGUがあれば生きていける世界で幸福を考える #ブディスタ
みなさん、おはこんばんにちは。
先日、あるYouTuberがゲーム実況の最中にこんな一言を発していました。
「ユニクロとGUがあれば生きていける」と。
その言葉に「いや~、その通り」と納得してしまいました(個人的にはしまむらも加えて欲しいです)。
道ゆく人たちと同じような服装は、(割と無理なく)購入できる時代ですよね。
おしゃれに無頓着な私としては、群衆の中で「浮く心配」も「埋もれる心配」もない無難なファッションが身近に手に入る環境は、とってもありがたい。
で、この話、エンタメ消費にも言えそうだなと思っていまして…。
幸せのハードルの上げ下げは、自由
映画・ドラマ・アニメなどが見放題のサブスクは、NetflixやらAmazon prime videoやら、多くの人が何かしら利用していて、「極めて普通」になってきていると感じます。
誰もが見ている(面白いことが保証されている)人気のアニメを見ながら、安くて美味しい第3のビールでも飲んでいれば、「もう最高」ってなもんです。
みんなと同じ服を着て、同じコンテンツを消費していれば、最低限の流行や話題にはついていける。壮大な夢がなくても、崇高な目標はなくても、満足に生きていける。
幸せのハードルの上げ下げは、本当に自由なので、安定して幸福が手に入ります。
ところが、私の心のアン◯カが言うのです。
「白って200色あんねん」と。
先に挙げた〝手っ取り早い幸福〟もあるけれど、人間の幸福には、もっと種類があると思うのです。
誰かとの間に生まれる幸福もある
先日、創価学会男子部の集まりで「4年ぶりに参加しました」という方がいました。職場の人間関係に悩んで、一人でふさぎ込んでしまい、学会の活動からも離れてしまっていた、と。
その間、先輩たちから手紙をもらっていたそうです。
手紙には、仕事や生活のことを気遣う言葉が綴られていたのですが、何より「幸福を願ってくれている」のを感じたそうです。仕事で行き詰まり、自分の力ではどうしようもないと落ち込んでいたある時、先輩からの手紙が目に止まり、会合に行けば、何かが変わるかもと思い、連絡をとったそうな。
経緯を話しているその方のかたわらで、彼を励まし続けていた先輩が、涙目になっていました。
私自身も、なんだか嬉しく、身近な人の成長や、悩みの解決(への一歩前進)を、一緒に喜べる幸福もあるんだなと思った出来事でした。そういえば、友達を励ますことで、自分が元気になったこともありました。
「自身の安心を考えるならば、まず社会全体の安穏を祈るべきである」(御書新版44㌻・御書全集31㌻、趣意)。日蓮大聖人は、こう言われています。
私のささやかな幸せだって、周囲の環境がそれなりに安定していてこそ成り立つわけで。
だから、池田大作先生は「〝自分だけの幸福〟もなければ、〝他人だけの不幸〟もない」「他人の不幸の上に自分の幸福を築くことはしない」と教えています。
自分だけで完結する幸福ではなく、誰か(他者)との関係性の中で生まれる幸福。
いろんな幸福があるけれど、創価学会の活動の中で感じられる幸福は、なんかこう、一味違うんですよね。
男子部のメンバーや、友達を「推し」ている感じ。
めちゃくちゃ応援してくれて、喜びを倍に、悲しみを半分にしてくれる存在。
先の会合での一幕は、まさにそんな感じだったのです。
自分の身近な人を「推す」ことも、結局、自分の幸せになるんだなと思い至りました。
でも、また、心のア◯ミカが言うのです。「白って200色あんねん」と。
この「幸福」は、まだまだ深めがいがありそう。
幸せが多様化する現代にあって、「幸せについて本気出して考えてみた」(世代バレ不可避!)が実際にできる場所。それが創価学会なのかもしれません。
そして、そんな場にいること自体も、幸せなことなのだと感じています。