みんなに「無限の伸びしろ」 2023年12月度座談会拝読御書「日妙聖人御書」

創価学会では、毎月、全国各地で座談会という集いを開き、鎌倉時代の日蓮大聖人(1222年~1282年)が書き残された「御書」(論文や手紙など)を学び合います。機関誌の「大白蓮華」や「聖教新聞」には、その月に学ぶ「座談会拝読御書」を解説する記事が掲載されていますので、ここでは、信仰を持っていない方々にも理解しやすい視点から、青年部員が御書の内容を解説します。

こんにちは!12月度担当のひろかつです。

ふと見かけたテレビCMで、サッカー日本代表の三笘薫選手が出ていました。

「メンタルは強いと思いますか?」との質問に対し、三笘選手は「伸びしろはありますね」。

大舞台でも堂々とプレーしていて、強いメンタルの持ち主というイメージですが、その秘訣の一つが〝自分には伸びしろがある〟と素直に思えることなのかなと感じました。

「伸びしろ」つまり「自分はさらに成長できる」「自分は可能性を秘めている」と信じられることは、前向きに生きる上で大切なポイントだと思います。

今回は、自分の伸びしろについて、今回の座談会拝読御書を通して考えていきます。

拝読御書について

今月は「日妙聖人御書」です。日蓮大聖人が、1272年(文永9年)5月に佐渡でしたためられ、乙御前の母(日妙聖人)に与えられたお手紙です。

乙御前の母は鎌倉に住んでいた門下で、何らかの理由で夫と別れ、幼い娘を育てながら純粋な信心を貫いていました。

本抄御執筆の当時、大聖人は佐渡流罪の渦中であり、門下にも所領の没収や投獄などの迫害が及んでいました。

こうしたなかで乙御前の母は、鎌倉から、なんと佐渡にまで大聖人をお訪ねしました。大聖人は、そのような乙御前の母の求道の志を称賛されて、本抄の最後に「日妙聖人」という最高の名を贈られています。

本抄前半では、経典で説かれる過去の菩薩たちが命がけで仏法を求めた事例を挙げ、そうした求道者たちが修行して得た功徳は、法華経(妙法蓮華経)の「妙の一字」にすべて納まっていると説明されます。

そして、末法において私たちが「妙法蓮華経の五字」を受持すれば、仏と等しい境涯を得ることができると教えられました。今回の拝読範囲は、この部分の仰せです。

仏と同じ功徳を受け取れる

本文

我ら具縛の凡夫、たちまちに教主釈尊と功徳ひとし。彼の功徳を全体うけとる故なり。経に云わく「我がごとく等しくして異なることなし」等云々。法華経を心得る者は釈尊と斉等なりと申す文なり。

(御書新版1681ページ6行目~8行目・御書全集1215ページ18行目~1216ページ1行目)

意味

私たち煩悩に縛られた凡夫が、たちまちに教主釈尊と等しい功徳を具えるのである。それは、釈尊の無量の功徳を全て受け取るからである。経文には「一切の衆生を自分と同じ仏にして、異なることがないようにしたい」等とある。法華経を心得る者は、釈尊とすべて等しいという文である。

語句の説明

・「具縛の凡夫」(ぐばくのぼんぷ)
煩悩や生死の苦しみに縛られた人間のこと。
・「斉等」(さいとう)
「斉」も「等」も、ともに「ひとしい」という意味。

最初に「我ら具縛の凡夫」、つまり悩みや欠点を抱えた普通の人間であっても、釈尊とまったく同じ功徳を受け取ることができると説かれました。

まず、大聖人は「我ら」とおっしゃっています。御自身と弟子を分け隔てなく、社会的立場や性別なども一切関係なく、誰もが等しく煩悩や苦しみを抱えた凡夫でありながら、誰もが等しく成仏できることを教えられています。

とはいえ、自分が釈尊に等しい存在だと信じるなんて、なかなか難しいですよね?なんと言っても、釈尊は仏教の開祖であり、仏です。大聖人の弟子たちも、〝釈尊は自分とかけ離れたすごい存在〟とイメージしていたでしょう。

しかし大聖人は、驚いたであろう門下に寄り添うように、法華経方便品の「如我等無異」(創価学会版法華経130ページ)との一文を挙げられています。

この「如我等無異」がカギとなるようです。詳しく学んでいきましょう。

釈尊が立てた誓願

「如我等無異」は、釈尊がかつて立てた、〝仏である自身と等しい境地に、みんなを導きたい〟という誓願です。すべての人の内面に、自身(釈尊)と同じ仏の境涯を開かせたいという意味と言えるでしょう。

この「如我等無異」が説かれた法華経の方便品では、釈尊がこの世に現れた目的(一大事因縁)として、すべての人に仏の智慧(仏知見)を開かせ、示し、悟らせ、その境地に入らせること(開示悟入)を明らかにしています。

中でもポイントは「開」です。「開かせる」ということは、もともと「閉じている」「眠っている」ということ。つまり、どんな人であれ内面に釈尊と等しい仏の智慧が〝もともと〟そなわっており、仏の境地を開くことができるということです。だから釈尊は「如我等無異」を願ったのです。

方便品では「如我等無異」に続いて、その誓願は、万人成仏を明かした法華経を説くことで成就されたと述べられています。

そこにいかなる差別もない

人にもともとそなわっている〝釈尊と等しい仏の境涯〟とは、言い換えれば、「無限の伸びしろ」だと思います。

仕事や人間関係などでつまずいたとき、どうしても落ち込んだり、自信を失ったりしますよね…。それは「具縛の凡夫」として、自然なことです。

精神科医で筑波大学教授の斎藤環氏は、現代の若者には〝どうせ頑張っても何も変わらない〟といった「変化への不信」があると述べ、そうした若者に対し、「自分の伸びしろや変化を信じることができたら自分の人生も楽観できるし、楽に生きられるだろう」と記しています(斎藤環著『「自傷的自己愛」と精神分析』角川新書を参照)。

もうダメだ。何も変わらない。こうした「変化への不信」を打ち破るのが、仏法です。日蓮大聖人は、法華経に基づいて、誰もが内面に仏の境涯をそなえていることを訴え、それを引き出していくための南無妙法蓮華経の実践を確立されました。

私たち創価学会員は日々の信仰によって、「変化への不信」を打ち破り、どんなことにも負けない勇気によって、自分自身の「無限の伸びしろ」を引き出しているのです。

池田先生は語っています。
「法華経がだれのために説かれたのかと言えば、『すべての人間のため』であり、その『自立』のためです。そこには当然、僧俗、男女、貧富、貴賤、老若等、いかなる差別もありません。ひとえに『人間のため』『民衆のため』です。(中略)だれもが等しく、成仏の可能性をもっている。だれもが必ず、絶対の幸福境涯を満喫していける――これが法華経の教えなのです」(『法華経の智慧』上62ページ)

自分だけではありません。すべての人に「無限の伸びしろ」はあります。それを確信し、前向きに生きる希望の哲学を社会に広げるのが、大聖人の仏法の実践です。



今回の御書解説動画 Gカレ! 2023年12月度座談会拝読御書「日妙聖人御書」 もぜひご覧ください!

御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。

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