なぜ核兵器廃絶を目指す?~万人にそなわる善と悪~

創価学会が取り組む平和・文化・教育運動。その第一に掲げる「平和」の中でも、核兵器廃絶への取り組みは最も根幹となる活動であり、これまで多彩な運動を展開してきた(創価学会公式サイト「核兵器の廃絶、軍縮に向け連帯を拡大」)。

核兵器の廃絶は、創価学会の社会的使命です。

その原点は、1957年9月8日、第2代会長・戸田城聖先生が、核兵器は人類の「生存の権利」を脅かすものと断じられた「原水爆禁止宣言」にあります。それは、第2次世界大戦中、軍部政府の弾圧に屈せず、平和と人権のために信念を貫き通し、獄中で殉教された初代会長・牧口常三郎先生の遺志を継いだ宣言でした。

――創価学会公式サイト「創価学会・SGIの核兵器廃絶運動」

なぜ、私たちは核兵器廃絶を目指すのか――。

それは、世界の平和と自他ともの幸福のためである。

さらに、仏法の眼で見つめれば、「あらゆる人に善と悪がそなわる」からこその運動である。

仏法における善と悪の行為

人間社会において、行為としての善と悪は相対的なものと言えるかもしれない。平和な世で人に危害を加えれば罰せられるが、戦時においては英雄にすらなってしまう。

一方、仏法では十善・十悪という善悪の行為を示しており、その第一に挙げているのが不殺生(善)・殺生(悪)である。

よって、不殺生=いのちあるものを殺害しないというのは、仏法において最も基本的な徳目と言えよう。しかしそれは、人は殺生という悪の行為を犯しかねない存在であることも示唆している。

なぜ『法華経』が優れているのか

次に、行為としての善悪ではなく、教えとしての善について考えてみたい。

日蓮大聖人は『法華経』を最も優れた経典として尊崇された。他の経典と比較した上で「ただ法華のみ正善なり」(「開目抄」御書新版107ページ・御書全集227ページ)と述べられ、また「実乗の一善」(「立正安国論」御書新版45ページ・御書全集32ページ)とあるように「真実の教え(乗)である唯一の善(の教え)」と表現されている。

では、なぜ『法華経』が最も優れている善の教えなのだろうか。

「法華経と申すは、一切衆生を仏になす秘術まします御経なり。いわゆる、地獄の一人、餓鬼の一人、乃至九界の一人を仏になせば、一切衆生皆仏になるべきことわり顕る」(「法蓮抄」御書新版1420ページ・御書全集1046ページ)

「仏菩薩の衆生を教化する慈悲の極理はただ法華経にのみとどまれりとおぼしめせ。(中略)法華経の一切経に勝れ候故は、ただこのことに侍り」(「唱法華題目抄」御書新版13ページ・御書全集9ページ)

あらゆる人々を仏にする(成仏させる)教えが『法華経』であり、慈悲にあふれた究極の教えが説かれているからこそ、最も優れた経典であると大聖人は仰せである。いわば、仏という最高の善の境涯(仏界)へ導く教えだから、『法華経』は最高の善の教えなのである。

ただし、仏といっても、私たち人間とかけ離れた存在ではない。

誰でも仏になれるということは、皆に「仏になる可能性」が等しくそなわっていることを意味する。「仏性[ぶっしょう]」(仏の性分)がそなわるとも言う。この点において、どの生命にも尊厳があると捉えられるだろう。

大聖人は、あらゆる人々を成仏に導くことができる『法華経』を信じることが、私たちに仏界がそなわる証しであると述べられている(御書新版127ページ・御書全集241ページ)。他者にも自分にも最高の善の境涯がそなわり、無限の可能性が秘められていることを確信し、自他ともにそれを引き出していくことが最高の善の生き方だと言えないだろうか。

あらゆる人々にそなわる悪

あらゆる人々に善の境涯がそなわり、善の生き方ができる。ただし、それと同じく、あらゆる人々に悪の境涯がそなわり、悪の生き方もできてしまう。

大聖人が『法華経』に基づいて重んじられた「一念三千」(注)という法理は、端的に言えば万人に仏界がそなわることである。しかし、逆を言えば、万人に悪の生命境涯がそなわることでもあるのだ。

(注)一念三千[いちねんさんぜん]
天台大師智顗が『摩訶止観』巻5で、万人成仏を説く法華経の教えに基づき、成仏を実現するための実践として、凡夫の一念(瞬間の生命)に仏の境涯をはじめとする森羅万象が収まっていることを見る観心の修行を明かしたもの。日蓮大聖人は一念三千が成仏の根本法の異名であるとされ、「仏種[ぶっしゅ]」と位置づけられている。南無妙法蓮華経が末法の凡夫の成仏を実現する仏種そのものであることを明かされた。

誰もが悪の境涯をそなえている以上、何らかの縁に触れて、殺生などの行為さえ起こす可能性がある。仏法は、そうした悪を制御し、克服していくことを目指す。

そして大聖人は、悪の行為を犯した人でも成仏できるのが『法華経』であることを強調された(御書新版101ページ・御書全集223ページ)。

奥に隠された爪

現代において、人がそなえる悪の境涯が生み出した、最も凶悪な手段の象徴が核兵器と言えるだろう。たとえ、指導者が戦場におらず、自らの命を危険にさらさなくとも、発射ボタンと押すという、いとも簡単な動作で核兵器は使用されてしまう。目に見えない敵への猜疑心が、一人の悪の心を刺激するだけで、人類の悲劇が起こりえてしまうのだ。

さらに、核抑止論の視点からすれば、尊厳あるいのちを手段にして、他を威圧するという卑劣な発想自体に、悪の心がひそんでいることは言うまでもない。尊いいのちをあまりにも軽んじ、脅かす悪の思想を克服する必要がある。

創価学会第2代会長の戸田城聖先生の「原水爆禁止宣言」には次のようにある。

核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私は、その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。

それは、もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります。

なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります。

――創価学会公式サイト「原水爆禁止宣言」

「死刑」という表現を使わねばならないほどに核兵器の使用を絶対悪として断じた、この激烈な宣言は、万人がもつ「生存の権利」、いわば生命の尊厳性を守るという仏法者の使命の発露にほかならない。

第3代会長の池田大作先生は、戸田先生の「原水爆禁止宣言」を描いた小説『人間革命』で、次のように記している。

戸田は、原水爆の背後に隠された爪こそ、人間に宿る魔性の生命であることを熟知していた。そして、その魔性の力に打ち勝つものは、仏性の力でしかないことを痛感していたのである。

原水爆をつくりだしたのも人間なら、その廃絶を可能にするのも、また人間である。人間に仏性がある限り、核廃絶の道も必ず開かれることを、戸田は確信していた。

その人間の仏性を信じ、仏性に語りかけ、原水爆が「絶対悪」であることを知らしめる生命の触発作業を、彼は遺訓として託したのである。

――小説『人間革命』第12巻「宣言」

「隠された爪」とは、他者のいのちを軽視し、その生存を手段化さえしてしまうような、目に見えない根源の悪の心、魔性の生命である。しかし悲しいかな、それは誰にもひそんでいる。身近な不仲やいがみあい、ケンカ、対立などから、差別、蔑視、憎悪、敵対、そして紛争、戦争へとつながるその一つ一つの根源は、等しく誰にもひそむ悪の心なのである。

であるならば、悪の境涯を制御し、克服していくのが仏法である以上、人が生み出した悪の象徴たる核兵器の廃絶を目指すことは、万人の中にそなわる悪の心を克服しゆく、仏法者として当然の使命であると確信する。

それは、万人の中に最高の善がそなわっているからこそ展開できる運動でもある。

ではどうすれば、核兵器廃絶のような地球的課題の解決に向けて、人々の善を引き出す運動を進めていけるのだろうか。稿を改めて考えたい。

御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。

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#核廃絶 #仏法哲学