逆境は人生の軌道を良い方向へ 2025年8月度拝読御書「転重軽受法門」
暑い日が続きますね。仕事や学会活動から帰り、お風呂あがりにひと休み。この時間が、私の一番のリラックスタイムです。
なかでもお楽しみは、ニュース番組のスポーツコーナーを見ること。その中で、一流の選手たちが日々の葛藤や挑戦について、インタビューで答えている姿を見ることがあります。〝みんな、苦労しながら頑張ってるんだ……〟と、時には目をうるませることも(年を重ねると涙腺弱くなりがち)。
真剣に自分と向き合い、悩み、もがきながら戦うアスリートたち。その悩みや葛藤を乗り越えるからこそ、さらなる飛躍の結果が生まれるんだと気付かされます。
一方、人生にも悩みはつきものです。困難に直面した時、どのように向き合い、乗り越えていくか。今回の拝読御書「転重軽受法門」を通して、そのヒントを考えたいと思います。
拝読御書について
転重軽受法門は1271年(文永8年)10月5日、日蓮大聖人が下総国の門下である大田乗明、曽谷教信、金原法橋に宛てられたお手紙です。
大聖人は、前月の9月12日、竜の口の法難(注1)に遭われました。その後、流罪地・佐渡へ出発される前、相模国依智(現在の神奈川県厚木市)にとどめ置かれた大聖人のもとを、3人(あるいはそのうちの1人)が訪れました。その真心に対し、大聖人が著されたのが本抄です。
(注1)竜の口の法難
1271年(文永8年)9月12日の深夜、日蓮大聖人が斬首の危機に遭われたこと。
本抄で大聖人は、法華経を弘めると難を受ける理由として、1点目に、釈尊の臨終を舞台にした涅槃経に説かれている「転重軽受」の法門を示し、2点目に、仏法のことを知らず、素直に受け入れられない人々が多い国、仏の教えの功力が消滅する時(末法)における弘教であることを挙げられます。
そして、法華経を口で読むだけではなく、経文通りの実践をすることの難しさを強調し、現在は日本で大聖人お一人が法華経を身読していることを示されます。
最後に、国土の安穏を願って正法を弘めているという心情をつづり、本抄を結ばれます。
善の軌道に転換
本文
涅槃経に転重軽受と申す法門あり。先業の重き今生につきずして、未来に地獄の苦を受くべきが、今生にかかる重苦に値い候えば、地獄の苦しみぱっときえて死に候えば、人天・三乗・一乗の益をうること候。
(御書新版1356㌻3行目~5行目・御書全集1000㌻3行目~4行目)
意味
涅槃経に「転重軽受(重きを転じて軽く受く)」という法門がある。過去世でつくった宿業が重くて、現在の一生では消し尽くせず、未来世に地獄の苦しみを受けるはずであったものが、今世において、このような(法華経ゆえの大難という)重い苦しみにあったので、地獄の苦しみもたちまちに消えて、死んだ時には、人・天乗の利益、声聞・縁覚・菩薩の三乗の利益、そして一仏乗の利益たる成仏の功徳を得るのである。
語句の説明
・「三乗」(さんじょう)
声聞乗・縁覚乗・菩薩乗のことで、それぞれ声聞・縁覚・菩薩が覚りを得るための教え。ここでは、得られた声聞・縁覚・菩薩の境地。
・「一乗」(いちじょう)
一仏乗のこと。成仏への唯一の教え。ここでは得られた仏の境地。
題号や御文に出てくる「転重軽受」とは、正しい教えを護りたもつ功徳の力によって、過去世の重い罪の報いを転換して、今世で軽く受け、消滅させることです。法華経より前に説かれた経典では、生死を繰り返して報いを受けながら宿業の罪を清算する必要があり、今世でその罪を消滅させることは不可能だとされていました。
しかし、本抄で「地獄の苦しみぱっときえて」と仰せの通り、重い宿業の罪を、信心の実践によって今世で〝直ちに〟消すことができると教えられています。
本抄では、竜の口の法難によって、御自身が過去世において、正しい教えを非難した(謗法=誹謗正法)、つまり、万人成仏を説いた法華経や、法華経を実践する人を蔑ろにした罪を消滅したことを述べられていると拝されます。
ではなぜ、重い罪を直ちに消すことができるのでしょうか。
それは、「十界互具」という法理によって、あらゆる人が、自分の生命に本来具わっている仏の境地を〝直ちに〟現すことができるからです。つまり、過去世の罪の報いを受け、「地獄の苦しみ」という悪から悪へと輪廻する不幸の軌道から、「人天・三乗・一乗の益」という善から善へと輪廻する幸福の軌道へと転換することができるのです。
これが、「転重軽受」の法門です。
〝究極の楽観主義〟で
「転重軽受」の字の通り、罪の報いをまったく受けないまま、その罪が消えるのではなく、今世で軽く受けて罪を消すことができる――つまり軽いというものの、罪の報いは受けなければいけない、と示している点に、因果を説く仏法の道理が表れていると考えられます。
できることなら、何事もなく、平穏な日々を送っていきたいですよね。しかし現実はそう甘くはないのです。人生には、仕事での人間関係や、家庭の経済状況や病気など、悩みの種は尽きないものです。
その原因が、自分の過去世での罪のせいだといわれても、納得できないかもしれません。そうかといって、誰かのせいにしたり、環境のせいにしたり、運命のような自分の意志を超越した力のせいにしたり――何かのせいにしたところで、問題は解決しないのが現実です。
原因を外に求めて悩みから目を背けてしまうのか、それとも、原因を自身の内に求めて向き合い、〝もっと大変な目に遭わなければいけないところを軽く済ませることができたんだ〟と、現状をプラスに捉えて、自分の可能性を信じて飛躍のチャンスとしていくのか――どちらの生き方がいいでしょうか。
大聖人は、別の御書で「大難が来た時には強盛の信心で、いよいよ喜んでいくべきである」(御書新版1720㌻・御書全集1448㌻、通解)と仰せです。つまり、目をそむけてしまいたくなるような悩みにぶつかった時、〝今こそ成長できるチャンスなんだ!〟〝もっと幸せになる時が来た!〟と捉え、前向きに受け止めることができる。そして、現実に幸せの人生をつかみ取っていく。これが、自分に具わる無限の可能性を信じる創価学会員の宿命を転換する生き方です。
池田先生は語っています。
仏法は「変毒為薬」(注2)の大法である。何があろうとも、必ず乗り越えていくことができる。また一つずつ絶対に打開できるように試練が現れてくるのが、「転重軽受」の甚深の法門である。
ゆえに、宿命転換の戦いに、断じて負けてはならない。
どんなに大変なことがあろうと、妙法を唱え、仏意仏勅の学会とともに生きぬく人は、厳として守護され、必ずや良い方向へ向かっていく。所願満足の幸福の軌道を歩んでいけることは、御聖訓に照らして、間違いない。
(『池田大作全集94巻』)
(注2)変毒為薬
「毒を変じて薬と為す」と読み下す。妙法の力によって、苦悩に支配された生命を仏の生命へと転換すること。
大変な時こそ、苦難をポジティブに変換していく生き方って、素敵だと思いませんか?
どんな逆境もプラスに転じていく、〝究極の楽観主義〟で、どこまでも明るく前を向きながら、負けない日々を送っていきましょう!
御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。
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