ちっぽけに思える行動に無限の可能性 2025年11月度座談会拝読御書「桟敷女房御返事」
創価学会では、毎月、全国各地で座談会という集いを開き、鎌倉時代の日蓮大聖人(1222年~1282年)が書き残された「御書」(論文や手紙など)を学び合います。機関誌の「大白蓮華」や「聖教新聞」には、その月に学ぶ「座談会拝読御書」を解説する記事が掲載されていますので、ここでは、信仰を持っていない方々にも理解しやすい視点から、青年部員が御書の内容を解説します。
先日、「自分って、ちっぽけな存在なのかな」。ふと、そう思う瞬間がありました。日本の未来を担うような仕事に取り組む同い年の友人と会った時です。心から「すごいな」、と思う一方で、自分の存在、行動にどれだけの価値があるのだろうかと考えてしまいました。
仏法では、たった一つの小さな行動が、想像もつかないほど大きな結果を生む力を持っていると教えています。今回は「桟敷女房御返事」を通して、私たちの「ちっぽけな(小さな)」行動が持つ無限の可能性について学んでいきます。
拝読御書について
このお手紙は、1275年(建治元年)5月、日蓮大聖人が54歳の時に鎌倉の門下である桟敷女房から「帷子(かたびら)」を送られたことに対するお礼状です。桟敷女房についての詳細は分かっていません。「帷子」とは、麻などでできた裏地のない夏用の着物のことです。
自ら進んで法華経ために送った、その真心からの行動がどれほど尊いか、法華経の行者である大聖人への供養の功徳がどれほど大きいかをたとえを通して教えられています。
一枚の帷子を供養する功徳
本文
たとえば、はるの野の千里ばかりにくさのみちて候わんに、すこしきの豆ばかりの火をくさひとつにはなちたれば、一時に無量無辺の火となる。このかたびらも、またかくのごとし。一つのかたびらなれども、法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし。
この功徳は、父母・祖父母、乃至無辺の衆生にもおよぼしてん。
(御書新版1704㌻11行目~1705㌻2行目・御書全集1231㌻9行目~12行目)
意味
たとえば、春の野が千里ほどにも広がって草が生い茂っている所に、豆粒ほどの小さな火を一つの草に放つと、いっぺんに無量無辺の火となる。(あなたが供養した)この帷子もまた同じことである。一つの帷子ではあるが、法華経の一切の文字の仏に供養したことになるのである。
この功徳は、父母、祖父母、さらに限りなく多くの人々にも及ぶに違いない。
この御文で大聖人は、「豆粒ほどの小さな火」が「無量無辺の火」となって広大な野原を焼き尽くすという、非常にダイナミックなたとえ話をされています。当時の一里は650mほどのようですから、「千里」といったらだいたい650㎞です。豆粒ほどの火からは想像しにくいほどの広さです(ちなみにおおよそですが、東京―広島が680㎞、大阪―仙台が620㎞のようです)。
このたとえを通して大聖人は、真心からの「一枚の帷子」を御供養したことは、法華経のすべての文字の数と同じ数の仏(「六万九千三百八十四の文字の仏」〈御書新版1704㌻・御書全集1231㌻〉)に供養したのと同じ意義があると仰せです。
南無妙法蓮華経の信心によって万人を幸福にしようとされた日蓮大聖人に、一枚の帷子を供養する功徳が、計り知れないほど大きいことを示されています。
さらに大聖人は、その功徳が「父母・祖父母、乃至無辺の衆生にもおよぼしてん」と仰せです。これは、一枚の帷子の御供養の功徳が、桟敷女房自身にとどまらず、父母・祖父母、さらにはまだ出会っていない人々にも広がっていくということです。
たとえ小さいと思えるようなことであっても、万人の幸福を願う真心の行動が、莫大な福徳を積むことを教えてくださっています。
小さなことから広がる
私たちの日常に置き換えてみるとどうでしょう。
例えば、友人が落ち込んでいる時にかけた「大丈夫?」という一言。その言葉が相手の心を温め、もう一度頑張ろうという勇気の火を灯すかもしれません。また、職場で誰もやりたがらない面倒そうな仕事に、進んで手を挙げてみる。その誠実な姿勢が、やがてチーム全体の雰囲気を変えるきっかけになることもあるでしょう。
私は創価学会の活動で使用する会館の周辺でゴミ拾いをしています。近隣の方が清々しく通行できるようにと、感謝を込めて始めたことです。最初は自分だけでしたが、ほかの男子部員へも次第にその心が伝わり、多くの人が自主的にゴミ拾いをするようになりました。心なしか目にするゴミが減ってきた気がします。
ささやかな行動が、思いもよらず大きく広がる結果となった体験です。
平和研究の母であるエリース・ボールディング博士は、池田先生との対談で「平和の文化」のビジョンについて論じ、「社会における慈悲の実践は、小さなこと、身近なところから始まり、けれども決してそこにとどまることなく、必ずや、より大きな全体へと広がる新たな道を開くものである」(『「平和の文化」の輝く世紀へ!』潮出版社、『池田大作全集』第114巻収録)と言われました。
「自分の一歩が大きな道を開くなんて大げさだ」と思うかもしれません。ですが、「豆粒ほどの火」のような決意や行動が、「無量無辺の火」のように広がるんです。「ちっぽけ」に思える行動に、無限の可能性があることを信じて、身近な誰かのために行動していきたいと決意しています。
御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。
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