入市被ばくの恐怖からの蘇生――祖父の人生に見た「更賜寿命」

本年で戦後80年を迎えた。私の祖父は福岡から長崎に行き、入市被ばく(注)した。80年の節に、今まで聞く機会がなかった祖父の話を両親に聞いた。

(注)入市被ばく
原子爆弾が投下されてから2週間以内に、救援活動、医療活動、親族探し等のために、広島市内または長崎市内(爆心地から約2kmの区域内)に立ち入った方。(厚生労働省HPから)

――当時、18歳か19歳だった祖父は救護の手伝いでトラックの荷台に乗り、原爆が投下された長崎中を回った。放射能のことなど知る由もなかった。

数年後、入市被ばく者として手帳を受け取った。もらえるものはもらっておくかというくらいの認識だったが、歳を重ねるごとに被ばく者のその後の話を耳にするようになった。突然の身体の不調、がんや白血病を始めとした病気、また被ばく者への差別や偏見など、被ばくしたことの恐ろしさがいやというほど分かってきた。

祖父自身は、特に症状もなく十数年過ごしていた。だが、体内に“すみついた”放射能を思うと、だんだんと、何とも言いがたい闇が心を襲うようになった。

友人から信心の話を聞き、創価学会に入会をしたのはちょうどその頃のことだった。

それぞれが厳しい現実を抱えているにもかかわらず、自分だけでなく他者の幸福のために負けずに生きている学会員の姿に人間の持つ可能性を感じた。自分の人生を嘆くことをやめて、病気や障害を抱えている友人たちに同苦し、励ましを送るようになった。

友人の幸せを願う中、被ばくの恐怖によって生きる気力を失いかけていた自分の心が、より多くの人のために、そして平和な社会のために生きたい、宿命に負けたくないと変革していった。

祖父は語っていたという。「“生き抜く”という力強い命と、未来への希望を持てたことが一番の功徳だった」と――。

祖父は71歳の時にがんで亡くなった。被ばくとの関係は分からない。

祖父の人生に思いを馳せた時、法華経の如来寿量品第16に説かれる「更賜寿命(更に寿命を賜え)」という言葉が思い浮かんだ。

これは、良医病子の譬えという話の中で、医者である父の留守中に誤って毒薬を飲んでしまい苦しんでいる子が、帰ってきた父に対して、良薬を求めて寿命を延ばしてくれるよう願って言った言葉である。父が釈尊、子が衆生、良薬が法華経を指している。

文字通り「寿命を延ばす」という意味である。しかし、放射能の恐怖を感じ、生きる気力を失いかけていた祖父が、自他共の幸福を目指す信心に出合い実践する中で、生命力がたくましくなり、“生き生きと自分らしく生きていく時間”を延ばしたことこそ、祖父にとっての「更賜寿命」だったのだと感じる。

祖父が亡くなる前、まだ幼かった私が病室に見舞いに行った際、「お題目をあげていると、希望と勇気が湧いてくる! 大丈夫だ!」と、ニカッと笑っていたことを思い出す。

あの笑顔には、被ばくした事実と苦しさを微塵も感じさせない人間の強さがあった。祖父は生涯で、苦しいことも、悔しいことも度々あったはずだ。それでも信心で何度でも何度でもと希望を生み出し続け、立ち上がり続けた。祖父の生涯は、“自分次第で人生は大きく開いていける”という、確信と歓喜にあふれていたのだ。

ふと思う。“自分は祖父ほどの人間革命の歓喜を実感できているだろうか”と。言葉で言うほど、簡単なことでもないだろう。だが、他者を思い、祈り、行動する中で、生き生きと自分らしく生きることができると信じ、祖父のように強く生き抜きたい。

御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。

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