信念を貫く自分になる 2025年12月度座談会拝読御書「四条金吾殿御返事(不可惜所領の事)」

創価学会では、毎月、全国各地で座談会という集いを開き、鎌倉時代の日蓮大聖人(1222年~1282年)が書き残された「御書」(論文や手紙など)を学び合います。機関誌の「大白蓮華」や「聖教新聞」には、その月に学ぶ「座談会拝読御書」を解説する記事が掲載されていますので、ここでは、信仰を持っていない方々にも理解しやすい視点から、青年部員が御書の内容を解説します。

こんにちは、12月になりましたね。

21世紀ももうすぐ1/4が終わります、こう書くとちょっとドキッとしませんか?
20世紀生まれの自分も人生を少し見つめたい気分になってきました。

21世紀に入って25年、子どもだった自分も大人になってしまいました。
子どもの頃は思ったことをそのまま言えたし、空気を読まないところもありました。
しかし大人になるにつれ、責任は増え、守るものも増え、そのために協調や妥協を覚えていきます。

これはもちろん成長ではありますが、同時にこうも感じます。
歳を重ねるほど、自分の信念を貫くにはエネルギーが必要になるなぁと。

今月の拝読御書「四条金吾殿御返事(不可惜所領の事)」からはそんな信念を貫く自分であることの大切さを学びたいと思います。

拝読御書について

「四条金吾殿御返事(不可惜所領の事)」は、1277年(建治3年)7月、日蓮大聖人が鎌倉の門下の中心的存在であった四条金吾に送られたお手紙です。

当時、金吾は主君である江間氏に法華経の信仰を勧めて以後、不興を買っていました。江間氏は極楽寺良観(注1)を信奉していたからです。

(注1)極楽寺良観[ごくらくじりょうかん]
1217年~1303年。鎌倉中期の真言律宗の僧・忍性のこと。1271年(文永8年)、日蓮大聖人は良観に祈雨の勝負を挑んで打ち破ったが、良観はそれを恨んで一段と大聖人に敵対し、幕府要人に大聖人への迫害を働きかけた。それが大聖人に竜の口の法難・佐渡流罪をもたらす大きな要因となった。

さらに直前に行われた桑ケ谷問答(注2)で問題を起こしたとデマを広められ、ついに金吾は主君の江間氏から「法華経を捨てると誓約書を書け。さもなければ所領を没収して家臣から追放する」と迫られます。

(注2)桑ケ谷問答[くわがやつもんどう]
1277年(建治3年)に鎌倉の桑ケ谷で行われた、日蓮大聖人の弟子・三位房と、良観(忍性)の庇護を受けていた竜象房との問答。竜象房は、三位房に徹底的に破折された。四条金吾は同席しただけで一言も発していなかった。しかし、四条金吾が徒党を組み、武器をもって法座に乱入したとの讒言が四条金吾の主君・江間氏の耳に入り、これがきっかけで主君の怒りを買って厳しい処分にさらされることとなった。

しかし金吾は迷わず信仰を選び、そのことを大聖人に報告します。大聖人は金吾の決意と勇気を讃えるお手紙と、主君に対して金吾の弁明を綴った陳状書を認められ、併せて送られました。

今回の拝読御文では、どのような苦境に陥ろうとも、法華経の信仰に傷をつけてはならないことを教えられ、少しもへつらわずに堂々と振る舞い、語っていくようにと伝えられています。

権力に媚びず堂々とした振る舞いを

本文

一生はゆめの上、明日をごせず。いかなる乞食にはなるとも、法華経にきずをつけ給うべからず。されば、同じくはなげきたるけしきなくて、この状にかきたるがごとく、すこしもへつらわず振る舞い仰せあるべし。中々へつらうならば、あしかりなん。

(御書新版1583㌻10行目~13行目・御書全集1163㌻15行目~1164㌻1行目)

意味

一生は夢の上の出来事のようであり、明日のことも分からない。どのようなつらい境遇になっても、法華経に傷を付けてはならない。
それゆえに、同じ一生を生きるのであれば、嘆いた様子を見せないで、私がこの陳状に書いたように少しもへつらわず振る舞い、語っていきなさい。なまじへつらうならば、かえって悪くなるであろう。

語句の説明

・この状
「頼基陳状」(御書新版1568㌻・御書全集1153㌻)のこと。報告を聞かれた大聖人が、金吾に代わって認めた長文の弁明書。

「一生はゆめの上・明日をごせず」、人間の一生は夢のようなもので、未来に自分の身に何が起きるかは分からないものです。
目に見える財産や仕事、社会的地位は生活を支えていますが、生涯揺るぎない人生の支えであると言い切ることはできません。

続けて「いかなる乞食にはなるとも、法華経にきずをつけ給うべからず」、たとえ所領を取り上げられて追放されるようなことになっても、法華経に傷をつけてはならないと大聖人は仰せです。

法華経に傷をつけること、それは強い立場にある主君を相手に信念を曲げ、へつらい、人間として卑屈になることです。

主君に領地を取り上げられて路頭に迷うかもしれない、社会的に低く見られ軽んじられるような立場になることもあり得る状況で、それでも金吾は自分の信じる法華経、大聖人の仏法を捨てないと勇気をもって信念を貫こうとしています。

そこで大聖人は金吾に対し、世間的に悪く言われることになっても法華経に傷はつかない、ただ金吾が環境に振り回されて弱い自分に負け、自らの尊厳を捨てることこそが法華経に傷をつけることなのだと示され、へつらうことなく堂々と振舞いなさいと激励されたのです。

プライドを大事にする武士が、デマで主君の信頼を失い、財産も仕事も失おうとしている。どれほどの恥辱、悔しさがあったことでしょう。家族の生活も背負いながら、それでもなお自分にとって一番大事なことは社会的な立場ではなく信念を貫くことである、と金吾は決め、大聖人もまたその姿勢こそが大事であると讃えられる。

大聖人は金吾のために弁明書の草案まで作られるのですから、心底弟子を心配されていることにも胸が熱くなります。

自分が自分であるために

振り返って現代の私たちに置き換えるとどうでしょうか。
もちろん現代で武士のような主従関係の立場というものは、そうそうありません。

しかし仕事、家庭、その他、人と関わるシーンで
・面倒だから黙っておこう
 ・先輩が言うなら従っておこう
 ・波風を立てるほどのことではないし…
と流してしまうこともあるでしょう。

もちろんこうした処世術は社会の潤滑油でもあり、無用に争う必要はありません。
しかし「ここだけは譲れない」と本来思っていた部分まで妥協してしまうと、少しずつ心がすり減っていくのを感じます。

私の話になりますが、自分は生まれつき片目の視力がなかったため、遠近感が測りづらく特に球技で球を取るのが非常に苦手でした。

体育の授業などでそういった種目があると、(あ〜しんどいな、これはうまくいかないな)と感じていました。

小さかった頃はそういった自分に配慮をしてくれようとした人もいた記憶があります。

しかし視覚にハンデがあったとしても、結果が良くない可能性が高くても、自分がやれることにはクラスメートと同じ立場で挑戦したいというのが素直な気持ちでした。

なのでハンデに対する気遣いには感謝しつつも、受けることはなく、代わりに私の状態を知った上で気にせずに扱ってもらうという、私にとっていい意味での配慮をもらいました。

もしそこで中途半端に気遣いを受けていたり、あるいは自分がそこに甘えていたりしたら、私は卑屈になり、自分の尊厳を正しく培うことはできなかったでしょう。

周囲に甘えず、おもねらず、平等に扱ってもらったからこそ、結果の良し悪しはあっても自分の誇りを守ることができたと感じています。

そして苦手があるのは仕方ない、体育以外が得意になればいいと勉強と読書に励んだことが今の自分の力になってくれました。

無駄に諍いを起こさないのも大切ですが、様々な状況の中であってもこれはというところでは、勇気を持って信念を口にし、貫いていくことが「自分」を守り、人生を思う通りに生きていくことに繋がるのだと思います。

本当に人間が幸福になるには″心の財″を積むしかない。心を磨き、輝かせて、何ものにも負けない自分自身をつくっていくのが仏法なんです。(小説『新・人間革命』第25巻「共戦」の章)

と池田先生はつづられました。「心の財」とは、どんな状況にあっても失われることのない心の豊かさと言えます。

どんな波浪があっても人生を自由に快活に生きていく、そんな「何ものにも負けない自分自身」が自分の憧れであり、目標です。

21世紀の4分の1から、21世紀の半分を目指して、今目の前にあることにチャレンジする喜びを感じながら一つ一つ心の財を積んでいきたいと思います。

御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。

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