中道から見つめる「台湾有事」――戦うことに賛成5割?

「中国 日本行き"50万人"キャンセル渡航自粛でコロナ禍以来最大か」「中国が日本産水産物を事実上輸入停止」――

数時間ごとに届くニュースから、高市総理の「台湾有事」に関する「存立危機事態」発言の余波を思い知る。

高市総理の発言は、中国と台湾が争うことになれば、状況次第で自衛隊が関与しうる未来を想像させ、これまで経済協力や外交によって慎重に保ってきた日中の安定が、いつ傾いてもおかしくない状況を招いた。

さっそく中国は反応し、渡航自粛や輸入停止などを矢継ぎ早に打ち出した。外交や経済が、一気にピリついてきたのを感じる。

自衛隊が戦うことに、賛成?

共同通信の世論調査で、「台湾有事」で集団的自衛権を行使する考えについて賛否を聞いたところ、「どちらかといえば」を合わせ「賛成」が48.8%、「反対」が44.2%だったと報道された。

私はショックだった。

日本人の約半分が、本当に"戦う選択肢"を選んでも良いと思っている……?
もし高市総理個人への支持がそのまま「賛成」に反映しているのだとしたら、戦争の悲惨さを被害の側でも加害の側でも知るこの国で、私たちはもっと慎重であってよいのではないだろうか。

安全保障上の不安を覚える国民の感情は理解できる。しかし、だからこそ高市総理の踏み込んだ発言には疑問しかないのだ。

高市総理もその後に述べた通り、存立危機事態に該当するかについては、平和安全法制成立当時から一貫して「実際に発生した事態の個別具体的な実態に即して、政府が全ての情報を総合的に判断する」ことになる。このことを改めて強調し、懸念を払拭してほしい。

「自分の目で見てほしい」政治では見えないもの

先日、創価学会青年訪中団から帰国したばかりの同僚は、台湾有事に関連するニュースを見て言った。

「政治は、まるでおもちゃを動かすように人の心を動かしてしまう」

彼女は、創価学会青年訪中団の一員として、中国人民対外友好協会と中日友好協会の招へいを受け中国を訪問した。
訪中先で繰り返し聞いたのは「自分の目で、ありのままの中国を見てほしい」という言葉だったと言う。偏見の痛みを知る人の言葉だ。

彼女たちは、中国の長い歴史、なかでも中国側の視点から見た旧日本軍の振る舞いを学ぶ場では息をのみ、日本とは比べ物にならないスケールの大きさと、驚異的な経済発展を目の当たりにして驚嘆した。

現地の学生との交流では、池田先生と周恩来総理が現実に日中の友好を推し進めた"対話の力" が、今も青年に希望を与えていることを知った。

翻って今、メディアが報道する中国では、共産党・政府とメディアによる連日の高市総理批判が繰り返されている。それに伴い、中国のSNSでは反日投稿が拡大しているらしい。
彼女の言うとおり、政治の判断というのは、国民の心をいとも簡単に操ってしまう。

公園で出会った中国人の親子

私にも少ないが、中国の友人がいる。
少し前のこと。公園で子どもを遊ばせていた時、中国人の親子と一緒になった。我が子がすべり台から落ちないようにと手を伸ばし、子を追いかけながら息を切らして笑う姿は、私とまるで同じだった。

今、中国の人々は「日本人は中国人を拒絶している」と、不安に思っているだろうか。
けれど、私の知る中国の友人は、誰一人として「戦う相手」ではない。

一方で、中国の在大阪総領事のSNS上の度を超えた発言や、両手をポケットに入れたまま話す外交官の姿を見てギョッとしてしまうのも本心だ。
それでもだからといって、中国政府関係者の戦略めいた振る舞いと、14億人の中国の人々をひとくくりにしたくはない。

日本にも中国にも、国益を守らなければならないという論理があり、その中で外交の現場ではギリギリのつばぜり合いをして来た。

公明党の西田幹事長は「中国側には感情的な報復、経済的な圧力ではなく冷静で大人の対応を強く求めたい。日中首脳会談でも約束した『戦略的互恵関係』の立場を貫く道を選ぶべきだ」と述べた。

対話によって懸案を丁寧にクリアしていきながら、両国の国益を尊重した結果、日中関係が良好であることにメリットがあると、日中双方の国民が納得できる状況を築く努力を惜しまないでほしい。

宗教がある政治の強み

宗教と政治は分離するべきだという声は多い。

しかし、インド独立の父・マハトマ・ガンジーは「宗教というものは、すべての活動の根っこにあるべきもの」「ゆえに私は、政治と切り離して宗教にだけ専念することはできないし、宗教と切り離した政治をおこなうこともできない」と語った。

私たち創価学会が、政治や政治家に、宗教や哲学・倫理が必要と考えるのはなぜか。
一人でも多くの人を幸福にする、弱い人の生活を守る、諦めて良い命など一つもない――これらの当たり前の基準は、当然ながら票の数で数えられるものではない。
理念が無ければ、政治は風向きに流されてしまう。

中道政党「公明党」

公明党は、仏法の「中道」を信念として創立された。
中道とは "道に中(あた)る"と読む。「あたる」は、命中、的中の意味がある。つまり、正しい「人道」から離れない 、いつも「正しい道に適っている」ことと言い換えられる。

正しい道とは、自分のため、人々のために行動すること。

公明党という政党が「中道」を信念とするのはどういうことか。
それは、右や左といったイデオロギーに偏らない。どちらの良いところも包摂する。例えば全体主義と個人主義と言ったような、一見対立する両方を調和させる。

そんなことができるのかと思うかもしれない。それを実現できるのは、どんな人も尊い存在だと確信する宗教的確信に基づき、徹底的に努力してこそだ。価値観の異なる人とも、対立するのではなく、尊敬を根底に置いて対話する。

私の最も身近な公明党の地方議員の方は「困っている人がいて、しかし制度の狭間でどうしても救うことができない時が一番悔しい。もっと勉強して、力をつけようと決意する瞬間だ」と言っていた。

あと一人、もう一人救うことができないか。
政治の恩恵を受けられずに苦しんでいる人はいないか。
草の根をかきわけてでも、その一人を見つけて救うために努力し続ける。
その前進し続ける生き方、あり方が中道なのだ。

公明党の斉藤鉄夫代表が、「非核三原則」や「存立危機事態」をめぐって政府見解を質したのも、国家の政治信念の基準を確かめる作業にほかならない。
今こそ公明党の中道主義を貫き、世界平和への正道を開き続けていくことを期待する。

創価学会員が目指すもの――世界平和

YouTube「創価の日常ちゃんねる」でディレクターの方が会員に度々質問していた。
「創価学会って何を目指してるんですか?」

問われた人は皆揃ってこう答えた。
「世界平和です」

創価学会員だって自分のことで精一杯の時もある。
それでも、自分を信じて懸命に生きている、その姿がそばにいる人に勇気を与える。
励まされた人は、今度は励ます側になる。
苦労した経験があるからこそ、人の気持ちが分かる。

それでも、どんなに祈り励ましても、政治や行政の力がなければ困難を乗り越えることができない人もいる。だからこそ、弱い立場の人に寄り添い、人々の人権と平和を守るために学び、声をあげ、現実の社会で行動する。

そうやって、一人を大切にする「仏法の人間主義」は広がっていく。
広い野原で、一つの草にともした火が、やがて一帯を照らすように、
世界中で平和を願う一人一人の小さな実践が、必ず世界を包むと確信している。

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#地域 #平和 #池田先生 #海外

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