苦難の「冬」に挑む生き方 2026年2月度座談会拝読御書「妙一尼御前御消息(冬は必ず春となるの事)」
創価学会では、毎月、全国各地で座談会という集いを開き、鎌倉時代の日蓮大聖人(1222年~1282年)が書き残された「御書」(論文や手紙など)を学び合います。機関誌の「大白蓮華」や「聖教新聞」には、その月に学ぶ「座談会拝読御書」を解説する記事が掲載されていますので、ここでは、信仰を持っていない方々にも理解しやすい視点から、青年部員が御書の内容を解説します。
2026年も早いもので、1か月が過ぎ、2月になりました。
個人的に、私は昔から2月がわりと好きな月です。
理由はいくつかあります。店先に恵方巻、バレンタインチョコが並び、日数は少ないながらも、行事や祝日が多い月だからです。
そしてもう一つ。春物の服が並び始めたり、気づけば日の出が少しずつ早くなっていたり、まだ冬の真っただ中にいながらも、「春」の気配を感じられる「冬から春へ向かう途中」のような時期だからです。
まだ寒く、完全な春ではないけれど、確実にその方向へ進んでいる、そんな感覚が好きなのかもしれません。
本日の御文は、この「冬から春へ」という季節の流れを、私たち信仰者の人生に重ねながら、仏法の確信を示してくれる有名な一節です。
拝読御書について
妙一尼御前御消息(冬は必ず春となるの事)は、1275年(建治元年)5月、日蓮大聖人が54歳の時に身延で著され、鎌倉に住む女性門下の妙一尼に与えられたお手紙です。
本抄を送られる4年前、大聖人は「竜の口の法難(注1)」や「佐渡流罪(注2)」など、命に及ぶ大難に遭われました。その後、鎌倉に残った門下に対しても、厳しい弾圧が加えられていきます。
(注1)竜の口の法難[たつのくちのほうなん]
1271年(文永8年)9月12日の深夜、日蓮大聖人が斬首の危機に遭われた法難。
(注2)佐渡流罪[さどるざい]
竜の口の法難の直後、不当な審議の末、佐渡へ流刑に処せられた法難。
妙一尼は、そうした状況の中でも、夫と共に信仰を貫いてきました。しかし、夫は所領を没収されるなどの迫害を受け、さらに、大聖人の佐渡流罪が終わる知らせを聞く前に亡くなってしまいます。
夫に先立たれた妙一尼は、幼く病弱な子どもたちを抱えていました。生活も苦しかったかもしれません。それでも信心を揺るがせることなく、佐渡や身延へ従者を送り、大聖人をお守りし続けたのです。
本抄は、この妙一尼が大聖人に「衣」を御供養したことに対して書かれたお手紙です。
大聖人は、手紙の前半部分で、臨終に当たっての気がかりは釈尊にもあったとされ、亡くなった妙一尼の夫の心中を深く思いやり、妻子を残して旅立つことがどれほど無念であったか、また、ご自身の流罪が赦免されたことを知れば、どれほど喜ばれたであろうかと述べられています。
そして、冬が必ず春となるように、法華経の信心を貫いた人は必ず成仏すると述べられ、妙一尼の夫の成仏は間違いないと断言されるのです。
「冬は必ず春となる」の大確信
本文
法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかずみず、冬の秋とかえれることを。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となることを。経文には「もし法を聞くことあらば、一りとして成仏せざることなけん」ととかれて候。
(御書新版1696㌻1行目~3行目・御書全集1253㌻16行目~17行目)
意味
法華経を信じる人は冬のようなものである。冬は必ず春となる。昔から今まで、聞いたことも見たこともない、冬が秋に戻るということを。
(同じように)今まで聞いたことがない、法華経を信じる人が仏になれず、凡夫のままでいることを。
経文には「もし法を聞くことがあれば、一人として成仏しない者はいない」(法華経方便品第2)と説かれています。
厳しい冬もやがて必ず春となるように、どのような苦難があっても、信心を貫いた人は必ず幸せになれる――
この御文には、大聖人の揺るぎない御確信が示されています。
冒頭の「法華経を信ずる人は冬のごとし」との一節が示す通り、法華経を持つ人は苦難を避けて通ることはできません。
実際、手紙を受け取った妙一尼も、まさに苦悩の渦中にあったことが考えられます。
また、自然の法則において、冬から秋へと逆戻りすることがないように、妙法を持ち切った人が、仏になれず迷いのまま人生を終えることは決してないと、大聖人は断言されます。
最後には、法華経方便品の一節を引かれ、妙一尼の亡き夫の成仏、そして、いかなる苦難があっても信仰を貫いた妙一尼自身が、必ず幸福になっていくことを、確信をもって励まされているのです。
深い悲しみの中にあった妙一尼を、何としても励まそうとされる、大聖人の限りない慈愛と真心が感じられます。
そして、大聖人御自身が、命にも及ぶ数々の大難を、悠然と乗り越えられたからこその仏法への大確信が胸に迫ってきます。
試練の冬があるからこそ
この御文を拝して、特に印象に残るのは、「法華経を信ずる人は冬のごとし」と断言されている点です。
2月に関わらず冬という季節は、今の日本だったらイベントも多く、街のイルミネーションはきれいで、鍋も美味しいし、個人的には好きです。
ただこの御文でいう「冬」とは、仏法で言う「三障四魔」「三類の強敵」と呼ばれる、さまざまな人生の逆境や、私たちの歩みを止めようとする働きを指します。日常の中で感じる不安、思いもよらない苦難などもその一つです。
そういう意味では、どうせなら「冬は必ず春となる」ではなく「冬は来なくてずっと春」が一番いいなと思ってしまうこともあります。
だからこそ、御文の「冬のごとし」という言葉に深い意味を感じます。
私たちの人生はそう単純ではありません。走っていれば必ず向かい風が吹くように、信念をもって生きようとする時ほど、思いがけない壁や試練に直面することがあります。それらは決して後退しているのではなく、前進しているからこそ現れるものです。
私たちの日々の信仰の実践にしても、逆境、宿命との戦いがあるからこそ、それを乗り越え、成長し、人生の勝利へと向かうことができます。
「冬」の寒さを知るからこそ、「春」の暖かさを実感できるのです。
そして、四季のように冬から春を何度も繰り返す中で、成長し続けていけるのがこの信心のすごさだと思います。
冬そのものをなくすのではなく、冬に真正面から向きあい、寒さに負けない自分自身を築き、最後には必ず成長と幸福を実感できるのです。
池田先生は、次のように語られています。
「法華経の信心は『冬』のようなものです。その厳しい宿命転換の戦いがあって初めて『春』を到来させ、福運を築くことができる。ゆえに試練の冬を避けてはならない」(『希望の経典「御書」に学ぶ』第2巻)
冬の真っただ中にいる時は、それが永遠に続くように感じます。
しかし、一人ももれなく必ず希望の春は訪れる――
そう信じて、一日一日を歩んでいきましょう。
御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。
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