SNS時代のメディアリテラシー 情報とどう向き合うか

SNS時代のメディアリテラシー 情報とどう向き合うか

「情報」は誰でもつくり出せる

情報は石油、石炭などと同様、社会における重要な資源である。情報を使って相手を納得させたり、感心させたりすれば、相手と感情を共有できたり、感謝され、尊敬されたりすることもあるだろう。

しかし、情報について気をつけなければいけない点もある。それは、情報は他の資源と異なり、「誰でもつくり出せる」ということだ。実際には正確な情報を持っていないにもかかわらず、世の中にはニセ情報(ウソ・デマ)をつくり出す人間がいる。注目されたいという承認欲求を持つ者、手っ取り早くストレス発散したい者など……。

また、デマは「デマゴギズム」(扇動政治)という言葉にもある通り、悪意や政治的意図に基づいて情報を捏造することだが、デマを流すことで優位に立とうする者や組織がいるのも事実だ。以上のことは、評論家・荻上チキ氏らによる『ダメ情報の見分けかた メディアと幸福につきあうために』(NHK出版)に詳しく書かれている。

誰かの得の背景で、誰かの損が生まれていないか

数年前のアメリカ大統領選でフェイクニュースが話題になったが、これらのデマの拡散は、今に始まったことではない。2000年以上前に歴史家トゥキュディデスによって書かれた『戦史』を開いてみると、こんな記述がある。
「誤伝はじつに多く(中略)現在の出来事についてすら誤報がひんぱんに生ずる」「個々の事件にさいしてその場にいあわせたものたちは、一つの事件についても、敵味方の感情に支配され、ことの半面しか記憶にとどめないことがおおく、そのためにかれらの供述はつねに食いちがいを生じた」(『世界の名著5』中央公論社)

誰かの得の背景で、誰かの損が生まれていないか。私たちは注意する必要がある。まずは「情報元を確認する」「文章を最後まで読む」ことが初歩だろう。さまざまな立場から、その情報をのぞいてみること(複眼思考)も有効になる。 特に、インターネットが普及した現代では、メディアに騙されて損をする心配だけでなく、デマや流言拡散の加担者となって誰かに損害を与えることはないかと考慮する必要もある。

誰もが発信者の時代

教育研究者の山崎聡一郎氏を招いて2月末、青年部イベント「session2030」が開催された。

テーマは「いじめの問題とネットリテラシー」。冒頭、確認し合ったのは、新聞や雑誌、テレビなどが中心だった時代は、情報の「受け手」と「送り手」が明確に分かれていたが、インターネットが広まった現代では、誰もが受け手にも、送り手にもなる、ということだ。

SNSの誹謗中傷によって、自ら命を落とす人もいる。便利な道具は、使い方によっては凶器にもなり得る。若い世代をはじめ、SNSを活用し、発信する側になった私たちは、情報とどのように向き合っていけばいいのだろうか。

山崎氏は、「情報を見極めるためには、これで分かったと思わず、『まだ分からないよね』と、問い続けることが重要だ」と指摘。元報道アナウンサーの下村健一氏の著作『10代からの情報キャッチボール入門 使えるメディア・リテラシー』(岩波書店)に分かりやすくまとまっていると教えてくれた。


四つのギモン(疑問)

本の中では、情報をしっかり受け取るためには、自らに「四つのギモン(疑問)」を投げ掛けようと提唱している。

1 「まだわからないよね?」
2 「事実かな? 意見・印象かな?」
3 「他の見え方もないかな?」
4 「隠れているものはないかな?」

それぞれ、詳しく見てみよう。

ギモン1 まだわからないよね?――結論を即断するな
判断材料の少ない初耳情報に、ついグラッと引かれても、結論を即断しないこと。「今」の見方をとりあえず持っても、続報に接するたびに柔軟に修正する態度が重要となる。

ギモン2 事実かな? 意見・印象かな?――ゴッチャにして鵜呑みにするな
情報には、大きく分けて「事実」として記述されている部分と、その情報を発した人の「意見・印象」が記述されている部分とがある。

(例)疑惑のA氏は、こわばった表情で、記者を避けるように裏口からこそこそと出て行った。
【事実のみ】A氏は/裏口から/出て行った。

あらゆる情報発信者に「意見・印象」を排除せよ、と求めるのは無理な話。ならば自分がきちんと「事実」と混同せずに受け取ろう。

ギモン3 他の見え方もないかな?――1つの見方に偏るな
受け取った情報を1つの見方だけで終始せず、試しに順序、立場、重心などを変えて見直してみよう。すると、全く違う姿で見えてくるかも。

(例)人が、犬に追いかけられて逃げている? 逃げた犬を、飼い主が追いかけている? 2枚の絵を見せる順序を入れ替えるだけで、思い浮かぶストーリーが変わる。

ギモン4 隠れているものはないかな?――スポットライトの周囲を見よ
私たちの頭は、ある情報の見えている部分だけをもとに、見えない部分も無意識のうちに想像で補ってしまう。それが正しいとは限らない。

(例)アルファベットの「D」。右半分は隠せば「四角形」に、左半分を隠せば「円」に見えてしまう。

異なる考えを持つ他者との出会いを

あいまいな情報に対して、拙速に判断をしないことが大切だと言うことは分かる。しかし、SNSは人と人とが〝つながる〟ことに価値を置く。そこでは、情報が真実であるかどうかは重視されにくい。そのような環境下で4つのギモンを実践に移すには、どうすればいいのか。

京都大学大学院の佐藤卓己教授は、聖教新聞のインタビューで、真実か、正解かを、ぎりぎりまで判断しないといった「耐える力」が必要であると語った。その力を養うには、自分と違う考えを持つ「他者」がいることを、コミュニケーションの中でどこまで意識できるかがカギになるという(3月30日付)。

例えば、SNSで自分とは興味や関心が合わないような人ともつながり、決して「快」とはいえない情報が入る状況をつくることだ。そして、そこで出会う他者と、どういう会話が成り立つかを考えることがリテラシーを養う第一歩になるのだ、と。

4つのギモンのように「自らへの問い掛け」という実践は、他者への想像力があってこそ、行うことができる。さまざまな価値観をもつ他者との出会いを、どうデザインできるか――対話の重要性はSNS時代にこそ増している。

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