「SNS時代における『人権文化』の建設へ」

SNS時代における「人権文化」の建設へ

近年、情報収集の手段は新聞・テレビからインターネットへと広がった。そして、若者の多くは、Twitter、Instagram などのSNSからリアルタイムで膨大な情報を得る時代となった。世界のインターネット利用人口は45億人に達し、そのうちSNSの利用者は38億人にのぼる。世界人口の約半数がSNSを利用しているという計算だ。

SNSの特性は、即時に誰もが発信者になれることであるが、時に、その発信は他者を傷つけることもある。昨年、テレビ番組の出演者に対する誹謗中傷が大きな問題となったが、SNS時代の人権侵害がますます深刻化している。

先日、関西青年部の主催で行われたSDGs連続講座では、「SNS中傷対策と表現の自由を考える」をテーマに学び合った。講師の曽我部真裕氏(京都大学大学院 法学研究科 教授)は、SNSでの誹謗中傷への対策として、法的措置ができる環境整備を整えつつ、「最も重要なのはSNS利用者のリテラシー」だと訴えた。被害者とならないためには、ミュート、ブロックといった自衛策を知っていくことも必要になる。そして、誰もが発信者となるSNSでは、責任の重みを認識した上で、加害者にならないような言動が求められるのだろう。

その曽我部氏が代表理事を務める一般社団法人ソーシャルメディア利用環境整備機構は、昨年7月、法務省、総務省と共同で、SNSのより良い利用環境実現に向けたスローガン 「#NoHeartNoSNS(ハートがなけりゃSNSじゃない!)」を発表した。同機構の特設サイトでは被害者となってしまった方に寄り添い、様々な対処法を提供している。一方、発信者には「もし、あなたが誰かを傷つけてしまいそうなら」と呼びかけ、発信内容が言葉の刃(やいば)や銃弾となって受け手側の全てを奪ってしまうこともあると警鐘を鳴らしている。

人は自身にとって奇異と感じるような他人の言動を見聞きしたとき、批判的な反応をしてしまいがちだ。さらにSNSでは相手の顔が見えないがゆえに、より過激で攻撃的な表現が見受けられる。しかし、そういった発信も、いま目の前に相手がいたらどれだけ傷つくだろうかと考えてみると、踏みとどまれるかもしれない。他者の状況に対して想像力を働かせることが、多様性を認めあう社会の実現につながるのではないだろうか。

昨今のコロナ禍において、社会全体が不安に覆われる中、世の中に玉石混淆(ぎょくせきこんこう)の情報があふれた。悪意に満ちた発信により、個人の尊厳が脅かされる事態も生じている。

本年の「SGIの日」記念提言の中で池田先生は、コロナ禍で浮き彫りになった問題として「誤った情報やデマが野放図に拡散され、差別や偏見が増幅することで、人間社会を支える基盤が蝕まれていく」と指摘。社会的な危機に直面した時、他人への嫌悪感を募らせるのではなく、むしろ、人々が感じる「生きづらさ」に共感し、共に乗り越える行動を起こすことこそが肝要だと訴えている。

さらに上記の提言で先生は、自分自身がかけがえのない存在であると同様に、相手もまた自分と同じようにかけがえのない存在なのだと、思いを巡らせることの大切さを述べ、「“誰も蔑ろにされてはならない”との思いを人権文化として結実させる挑戦を」と呼び掛けた。

「人権文化」構築の使命感に立った人々の団結が、このコロナ禍の危機の時代を乗り越える力となっていく。アメリカで人種差別と戦い、非暴力の運動をリードしてきた人権の闘志J.ローソン氏は “社会全体の3.5%の人が運動を推進すれば、世界は変わっていく”と語る。

私たち創価の青年は、一人また一人へと対話を広げながら、自他共の尊厳が輝く「人権文化」の建設へ歩みを進めていきたい

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