友達に「信仰って必要ある?」と聞かれました

「願いがかなうかどうかは、結局のところ自分の努力次第じゃない? 信仰って必要あるのかな」

先日、無宗教の友人から投げかけられた言葉です。同じように考えている人は多いのではないでしょうか。

最初に断言しますが、信仰者だからといって、努力せずして願いがかなうわけでは決してありません。もしも祈るだけで、テストでいい点数が取れたり、昇進や夢の実現がどこからか舞い込んでくるならば、それはもはや"魔法"であり"オカルト"です。願いをかなえるには、努力は必要不可欠です。

では一体、何のために私たちは創価学会員として、日蓮仏法を信仰するのか。それは、どんな悩みや困難に直面しても、そこに価値を見出し前進し続ける強さを、自身の中に確立するため。私はそう考えています。

環境や縁によって変わる私たちの心

人生にはさまざまな困難がつきものです。家庭のこと、学校や職場での人間関係、病気や事故、大切な人との別れなど、人によって違います。そうした悩みから逃れようと、遊びでごまかしても、ふとしたときに際限のない不安にさいなまれる。周囲がうらやましく映り、自分を卑下してしまう――こうした経験は誰しもあるのではないでしょうか。

仏法では、私たちの心の状態を「地獄界」「餓鬼界」「畜生界」「修羅界」「人界」「天界」「声聞界」「縁覚界」「菩薩界」「仏界」の10に分類しています。環境や縁によって、人間の心の状態は瞬時に変わります。

例えば、ライバルに嫉妬している状態は「修羅界」、自分の成績や頑張りが認められて喜びを感じる状態は「天界」とされます。常に理想的な心地よい環境に囲まれていればいいのですが、現実はそうではありません。皆、何かしらの悩みや困難に直面します。

そこで求められるのが、"環境に幸せを追い求める生き方"ではなく、"どんな環境にも価値を見出し、幸せを創造していける生き方"だと思うのです。

戦争で左手をなくした祖母

私の祖母は、第二次世界大戦で左手をなくしました。当時14歳でした。

祖母は、なくなってしまった左手を見ては人目が怖くなり、10年もの間、自宅に引きこもりました。24歳になり清掃員として働き始めるも、障害に理解のなかった時代。同僚からは見下され、罵声をあびる日々だったそうです。縁あって結婚し、子どもを出産しましたが、こんな自分で育てられるのかと不安にさいなまれ、さまざまな宗教を試みました。しかし、いずれも変化を感じられませんでした。そんなとき、隣人から創価学会の話を聞きました。

これまで自身の不幸を嘆き、人目を避けてきた祖母でしたが、"宿命を使命に変える"という言葉を聞き、そんな生き方がしたい!と創価学会に入会。信仰に励む中で環境に屈しない勇気がわき、徐々に人の輪の中に入っていけるように変わっていきました。そして、地域の自治会長を務めるまでになったのです。

祖母は「左手がないことは私の個性! この手のおかげでみんなにすぐ覚えてもらえる」と言い、地域に友情の輪を広げていました。そして、周囲やまだ幼かった私に、戦争の悲惨さや平和の尊さを語ってくれたことを今でも覚えています。

"幸福は自分の中にある"

創価学会には、多岐にわたる困難を乗り越え、生き生きと自身の体験を語る老若男女があふれています。どんな環境であっても、信仰を通して、希望と価値を見いだし、前進する中で、さまざまな分野で実証を示すメンバーがたくさんいます。

信仰の確信をつかんだ人たちが、一人また一人と、目の前の悩める友にこの仏法の素晴らしさを語り、創価学会は世界192カ国・地域にまで広がりました。創価学会の機関紙である聖教新聞では、連日、日本ないし世界の友の体験が多く紹介されています。躍動する姿に感動を覚えるのは決して私一人ではないはずです。

私の友達もこの信仰に出合い、明るく変わっていきました。幼い頃から信仰をしてきた私自身も「体感してみて絶対に損はない」ということを実感しています。この思いを胸に、これからも創価学会員として、"幸福は自分の中にある"との信念で、どんな環境にも左右されない強い生き方をしていきます。

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