情報過多の時代に「祈る」ってエモい。

2022年8月、家族で新型コロナウイルスに感染した。療養中の10日間は、ほとんどパソコンやテレビを見なかったし、スマホもほぼ触らなかった。

深刻なデジタル疲れ

療養を終えて仕事に復帰したその日、強く感じたことがある。「飛び込んでくる情報量が多すぎる」ということだ。LINEやTwitterなどのSNS、ニュースアプリの絶え間ないプッシュ通知、電車内や街の広告……。会社に向かうだけで、あらゆる情報が次から次へと目の前に差し出され、クラクラしてくる。よくぞ今まで普通に生活していたものだと感じた。

現代は、誰もがネットやSNSで情報を得て発信できる「情報社会」だ。一方で、取り込む情報が多すぎて脳が処理しきれない「情報過多シンドローム」や「スマホ脳過労」、情報過多によるストレスから「デジタル疲れ」などの言葉が生まれるなど、深刻な社会問題にもなっている(※1)。

こういった状況に陥ると、情報の取捨選択がうまくできずに意思決定ができなくなったり、仕事の生産性が落ちたりするということもあるようだ。

スウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセンが、デジタル社会に人間の脳は適応していないことを指摘し、日常生活の中でスマホなどを遠ざける「デジタルデトックス」の必要性を強く訴えたことも大きな話題となった。

「祈る」⇒ デジタルデトックス ⇒ エモい

私にとって、日常的にデジタルデトックスができる貴重な時間は、「祈る」時だ。

創価学会員は、原則は朝と晩に、御本尊に向かって法華経の一部を読誦し、「南無妙法蓮華経」の題目を唱える「勤行・唱題」を行う。この時、自身の願いや目標、悩み、家族や友人のこと、時には苦手な人や世界平和まで、あらゆることを、ありのままの気持ちで祈っていく。

とはいえ、祈る時間や長さに決まりはないし、その時の体調や予定によっても変わる。決して強制されるものでもなく、皆が好きな時に、好きなだけ、好きなことを祈っている。

この祈るという行為だが、私の感覚を率直に言えば、とにかく“エモい”。祈り終わった後はなんとも言い表せない素敵な気持ちになるのだ。

平常心の時も、妻と些細なことでケンカをしてイライラしている時も、育児や仕事で疲れている時も、悩みに直面して不安な時も、その時々の気持ちを大事にしながら、ありのままに祈る。

祈っていくと不思議と気持ちが落ち着き、それまで考えつかなかったことにまで想像が及ぶ。自分の本当の気持ちは何なのか、自身の振る舞いはどうだったか、相手にどういう思いをさせているのか、自分には何ができるのか……。

私にとって祈る時間は、デジタルや情報に触れず、自身の心をじっくり見つめる貴重な時間になっている。祈り終わった後の“エモさ”は、気持ちが整理されてすっきりしたり、新たな目標ができたりなど、新しい決意や周囲への感謝の気持ちが芽生え、前向きな気持ちとなる。祈り終わった時には、今すぐ明確なアクションを起こせるマインドになっている。

どんな状態で祈り始めても最後はそうなっていくから、元気が出るし、たまらない。一度の祈りでそうならなくても、祈り続けていくと、“エモさ”が出てくる。

もちろんこれは私個人の実感だ。人によって感じ方や考えていることは異なるかもしれない。

フォロワー「お坊さんの祈りと学会員の祈りの違いは?」

先日、soka youth mediaのツイッターに、「学会員の祈りと、お金を払ってまでお坊さんに祈ってもらうことの違いは何なのか」とのコメントを頂いた。

おそらく僧侶に祈ってもらうのは、法要の時に故人を供養してもらう時などだと思う。

一方、私たち学会員の祈りは、これまで述べてきたように、自身の心を見つめて、自分で解決策を模索する祈りだ。それは、初詣や法要など特別な時に神仏にすがるのではなく、日々の生活の原動力となる。さらに言えば、学会員が勤行を行う際には、必ず「先祖代々並びに亡くなられた会員・友人の追善供養」も祈念する。

「他力本願」という言葉があるが、僧侶に祈ってもらうものは、まさしくそれだと思う。「祈り」はそもそも「他力」だと思われがちだが、「自力」を十全に働かせ、自身の生命を清浄にし、生きる活力を生み出していくのが、本当の「祈り」だと思う。

池田大作先生は、祈りについて次のように教えている。

ともかく窮屈に考える必要はない。仏法は人間を自由にするものであって、人間を縛るものではないのです。少しずつでも、毎日することが大事です。毎日、ご飯を食べてエネルギーとなる。勉強も毎日、積み重ねることによって力となる。「毎日の生活が即人生」となる。だから「毎日の生活即向上」でなければならない。その推進力が勤行です。(中略)
勤行という行に励むことは、毎日の「心のトレーニング」です。自分自身の生命を清浄にし、エンジンをかけ、軌道に乗せていくことです。心身ともに回転を促し、リズムを整えていくのです。(『青春対話1』〈普及版〉)

コロナの療養明けの仕事終わり、情報のシャワーを浴びながらやっとの思いで家に帰り、仏壇に向かった。スマホから目を離して心ゆくまで祈り、いつも通りのエモさを感じながら、祈ることで自分を取り戻せることの喜びをしみじみと噛み締めた。

毎日の勤行・唱題で自身の生命を磨きながら、妻子と共に豊かな人生を歩んでいきたい。

※1 NHKクローズアップ現代、2019年2月19日放送 https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4249/

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