「未来をどうするか」を考えて〜身に起こる変化こそがヒント〜

大事なことは、「未来はどうなるか」という評論ではない。
「未来をどうするか」という一念であり、具体的行動であります。
引用:〈全国学生部大会〉池田先生のメッセージ
12月5日(月)付・聖教新聞

昨年12月。池田先生は、学生部の青年に対してメッセージを贈られました。
〝私たちは、どんな具体的行動を起こしていけるだろう?〟
筆者もまた、日蓮仏法と縁した一人として何ができるのか、悩み思索する日々です。

世界の「これから」を、さまざまな人物が、さまざまなメディアを通し、さまざまな角度で論じています。

〝こうした対策が必要だ〟
〝今後、この考えは通用しない〟

語る人の数だけ示される無数の方向性。
ただ、それらがいかなる具体的行動によるプロセスで形づくられていくのかまで示してくれる論客は、そう多くはいないのではないでしょうか。

自分という存在にある〝変化〟

リスクばかりが目立って、行動を起こそうにもなんだか足踏みしてしまうような空気。そうした閉塞感を打ち破るカギは、私たちワカモノ世代の発想にこそある。池田先生のメッセージを通して、筆者はそう感じました。

ひょんなきっかけで、『チーム・ジンバブエのソムリエたち』(2021)というドキュメンタリー映画を観ました。

政情不安によって苦しい生活を強いられ、難民として南アフリカ共和国へ移った4人のジンバブエ人男性。飲食業界で働きながら、祖国の代表として、ワインテイスティングの世界大会へ出場するまでを追った作品です。

チームメンバーの一人が、作中このように語ります。
「変化を起こすのは政治家じゃない。僕たちが〝変化〟だ」

彼らが南アフリカへ移るというプロセスは、決して望んだものではなかったかもしれない。ですが、そこで出あったワインから、世界とコネクトする〝パスポート〟を得ました。彼らは、自分の身に起きた〝変化〟をヒントとしてキャッチし、生きる活路を開いていくわけです。

具体的行動のヒントとは、決してネットや自己啓発本の中などではなく、これまで自分が居た場所、感じた心の動きの中にあるのかもしれません。要するにそれは、締め切りに追われている課題のレポートへの〝焦り〟であったり、やっと慣れ始めたバイト先の〝居心地〟の中に隠れている場合もあるんじゃないかと、映画を観て思った次第です。

家族孝行というAct Locally

チーム・ジンバブエのメンバーたちは、〝ワインのない国からやってきた〟という珍しさなどから注目を浴びます。ですが彼らの行動原理の本質は、〝祖国に残してきた家族を喜ばせたい〟ということ。つまり、親孝行・家族孝行という一点なんです。

〝Think Globally, Act Locally(地球規模で考え、地域で行動する)〟という言葉があります。

彼らの行動から汲み取れるのもまた、自分の目の前にある家族などの共同体、いわば小さな社会を救おうという姿勢です。

それは顔の見えない誰かより、身近な親や友人との間で共有した感情のやりとりの中でこそ、育まれているのではないでしょうか。

仏法では、現当二世という考え方があります。

現当二世
「現」は現在世、「当」は当来世(未来世)のこと。過去世に対する語。
引用:SOKAnet

〝いま〟起こしている行動や感じている心の動きは、大なり小なり、少し先の未来にいる自分の〝いま〟に繋がっています。

「未来をどうするか」というのは、「〝自分〟の未来を〝今〟どうするか」と捉えるることもできると思います。10年、20年先のことはすぐに分からなくとも、1ヶ月、1週間、明日の自分は、ちょっと考えてみたら見立てがつくかもしれません。

何の変化もないように感じる日常を、〝何のため?〟と少し立ち止まって観察してみる。自分には当たり前だと思っていることが、客観的に観察したら、意外と〝普通じゃなかった〟なんてこともあります。自分が気づいていない社会的な〝違い〟を見つけるところから、具体的行動のヒントは見つかるのかもしれません。