学会批判の坊主・宮川について

1. 供養の私物化で会館寺院から追放

―テレビ東京が学会に対して謝罪した番組の中で、「元信者」なる人物が学会を批判していましたが。

その人物は、会館寺院の住職を解任され、追放された宮川雄法(現在は日護と名乗る)という男です。

現在、宮川はフェイスブック上を中心に、悪意と臆測に基づき、盛んに学会への誹謗中傷を繰り返しています。

また、元本部職員3人の集会に参加したり、学会を除名された人物らとつるみ、学会組織の攪乱を目論んでいます。

そのような人物を、「元信者」として取り上げ、一方的にその発言を紹介するなど、「偏向報道」以外の何ものでもありません。

宮川は、かつて日顕宗を離脱した後、山口や兵庫で学会の会館寺院の住職を務めていました。会館寺院とは、学会が推進する世界広宣流布について、共に活動する僧侶の活動拠点として、学会が提供している建物です。住職は、葬儀・法要等を行うなど、正法興隆に必要な活動に従事しています。

しかし、宮川は兵庫の会館寺院「宝城寺」に在任中、学会幹部などを誹謗中傷したり、金銭問題を起こしたりしました。

会館寺院の住職としてふさわしくない行為に及んだ宮川に対して、宝城寺の理事会は住職を解任し、追放しました。

―彼が起こした金銭問題とは、どのようなものだったのですか。

宮川は、寺院に対してなされた供養を私物化していたことが発覚しました。

たとえば、信越の学会員から、会館寺院に対する永代供養として 100万円の供養がなされました。これは本来、寺院の口座に入れられるべきものです。

ところが、宮川は、会館寺院の理事会に承諾を得ることなく無断で、個人で口座を開設。しかも、その口座に寺院名を付し、あたかも寺院のものであるかのように装って、学会員に伝え、供養を振り込ませていたのです。

また、宮川は、別の2人の学会員から寺院に対してなされた供養数十万円を直接受け取った際も、会館寺院の理事会に報告せず、会館寺院の口座にも入れていませんでした。

こうしたことから 2010年(平成22年)2月、理事会は住職を解任しました。

しかし、宮川は理事会の処分が不当であるとして受け入れず、寺院に居座ったため、同年6月に「宝城寺」は、寺院の明け渡しを求める裁判を起こしました。2014年3月には宮川に対して、寺院の明け渡しを命じる判決が確定しました。

―真心からの尊い供養を、姑息な手口で私物化したわけですね。

裁判では、宮川の〝ウソつき坊主〟ぶりが明らかになりました。

というのも、宮川は裁判において、会館寺院側から指摘された供養の不正について、〝自分は寺院住職だけではなく、個人宗教家としての活動もしており、会館寺院側が指摘した供養は、個人として受けたものだ〟〝受けた供養は、海外の教育機関への寄付に回した〟などと弁解していました。

しかし、裁判所は、〝永代供養とは文字通り永続的な供養が可能な寺院に対して申し込むものであり、宮川個人に対するものではない〟〝会館寺院が指摘した供養は、いずれも寺院に対してなされたものである〟と断じました。

また、裁判所は、宮川の〝供養は寄付に回した〟との誤魔化しについても、宮川が証拠として提出した寄付の受領書の日付が供養を受けてから1年以上も経過していることや、寄付金額が供養を受領した額と異なっていることなどから、「事実経過としても不合理かつ不自然」「被告の供述は信用性に乏しい」などと指摘。裁判において、宮川の弁解は、いずれも理由がないと一刀両断されたのです。

―宮川の苦し紛れの弁解は、裁判でも排斥されたのですね。

そもそも、会館寺院の住職という立場にありながら、尊い真心からの供養を私物化するなど、到底許されるはずがありません。

宮川は現在、さも学会の事情通であるかのごとく狡猾に装い、悪意と臆測に基づく与太話で学会への誹謗中傷を繰り返していますが、結局のところ、自らの卑しさが原因で会館寺院を追放されたことを〝逆恨み〟し、騒ぎ立てているだけなのです。これが、宮川という人物の正体なのです。

(創価新報 2018年4月18日付)

2. 自らの卑しさで追放され学会を逆恨み

―学会から除名された元本部職員3人の集会に出入りし、学会批判を繰り返している坊主・宮川が、インターネット上でいまだ騒いでいるようですが。

2017年(平成29年)11月に放映されたテレビ東京の番組は、学会から除名された元本部職員3人が主催する集会を取り上げ、彼らの主張や言動を一方的に報道するなど「偏向報道」を行いました(学会からの抗議を受けたテレビ東京は 2018年2月22日付で学会に謝罪 「元職員らの中傷行動について」を参照)。

同番組内では、元職員3人の集会での宮川雄法(現在は日護と名乗る)の発言も取り上げられていました。

宮川は、山口や兵庫の会館寺院で住職を務めていましたが、兵庫の会館寺院「宝城寺」に在任中、学会幹部などを誹謗中傷したり、さらには金銭問題を起こしたことで、住職を解任され、追放された人物です。

会館寺院とは、創価学会が推進する世界広宣流布について、共に活動する僧侶の拠点として、学会が提供している建物です。

宮川は、学会からの寄付金を主たる財源として広布推進のために運営されている会館寺院の住職でありながら、学会員からの供養を私物化するなど「住職としてふさわしくない行為」を行い、宝城寺理事会において、2010年2月に住職を解任されました。

ところが、開き直り、寺院に居座り続けた宮川は、同年6月、「宝城寺」から寺院明け渡しの訴訟を提起され、その後、敗訴しています。

自らの卑しさが原因で会館寺院を追放されたことを逆恨みした宮川は、元職員3人ら以外にも、他の除名者らと連携して、〝学会の方針には不服従を貫け〟などとフェイスブック上で盛んに喧伝しています。

しかし、所詮、宮川は、自らの悪行によって学会にいられなくなったことを逆恨みし、除名者らと結託しているにすぎません。

現在、宮川は、細々と自宅兼寺院を構える〝一介の坊主〟にすぎないにもかかわらず、さも名のある僧侶であるかのように能化(一宗派の長老)を自称して、宮川の素性を知らない人間を取り込もうと躍起ですが、そもそも宮川という男は、裁判所〝お墨付き〟の問題坊主です。

―この連載でも、供養私物化の事実が紹介されていましたね。

あらためて、宮川の手口と、その悪事発覚後の悪あがきぶりをみてみたいと思います。

宮川は、「宝城寺」名義の寺院口座とは別に、理事会の承認を得ることなく、理事および監事に無断で、「宝城寺宮川雄法」名義の預金口座を開設していました。

そして、学会員Aさんから永代供養として 100万円を振込送金によって受領したにもかかわらず、理事会に報告もせず、寺院の口座にも入金しませんでした。

Aさんからの供養に対する受領証となる「永代供養之証」にも、あたかも「宝城寺」が発行したかのように、寺院名を記載していたのです。

また、別の学会員Bさんから計25万円、同Cさんから計15万円を受領したものの、同じように理事会に報告もせず、寺院の口座にも入金していませんでした。

裁判において宮川は、〝個人的宗教家として受け取った供養〟〝供養をした本人や遺族から供養金の返還を求められた時のために、別に保管していた〟〝(永代供養之証に)寺院名を記載したのは見栄えの良い証書を渡すことで安心させたかったから〟〝供養金はアメリカ創価大学に寄付した〟等々、あの手この手で言い逃れを図りました。

しかし裁判所は、
「(『宝城寺宮川雄法』名義の口座に振込送金することは)宝城寺又は宝城寺住職としての宮川雄法に送金したと認識するのが通常である」
「個人的活動のための口座といいながら、これによって得たと主張している収入につき確定申告をしていないなど、趣旨一貫していない」
「(受領証にある『宝城寺住職』等の署名や捺印などから)被告の個人的宗教活動ということはできず、『原告(=宝城寺)住職としての活動』による収入であることは明らか」
「永代供養とは、個人に対して申し込むものではなく、文字どおり永続的な供養が可能な寺院に対して申し込むものと思われるから、被告個人に対するものとは思われない」
「(アメリカ創価大学への寄付金の受領書にある日付が供養金等を受領した日付から)1年以上が経過しており、かつ、同受領書の金額も○○(=学会員Bさん)から受領した供養金等の額と異なっている等、事実経過としても不合理かつ不自然」
「(供養金は寄付したという)被告の供述は信用性に乏しいというほかなく」
等々、ことごとく宮川の主張を斥けました。

―あの手この手で言い逃れを図った宮川は、裁判所から一刀両断されたのですね。

宝城寺の供養金収入の額は、宮川が住職就任後は、前住職の時代と比べて著しく減少しました。

この点について宮川は「信者から供養をもらわない主義である」と述べ、弁解していました。

しかし、相当額が、理事会に無断で開設した「宝城寺宮川雄法」名義の口座に入金されていたことから、裁判所は、「原告が被告の金銭管理に関し、住職としての適性に疑問を抱くに至ったことには合理性がある」と、結論づけ、2013年5月、寺院の明け渡しを命じる一審判決が下されました。

宮川は、控訴審でも 2014年3月に敗訴。判決文は、このように締めくくられています。

「理事会の承認を得ることなく、被控訴人(=宝城寺)に帰属する口座と紛らわしい名義の本件別口座を開設した上、被控訴人の住職としての活動に関して受領し、被控訴人口座に入金すべき供養金等を本件別口座に送金させ、あるいは自ら受領して被控訴人口座に入金しなかったという行為態様は、単純な会計処理の過誤とはいえないものであり、上記各行為に関する控訴人(=宮川)の弁明の内容も不合理であって、これらの点からすれば、控訴人の責任は重いといわざるを得ない」

この判決が確定し、宮川は宝城寺、ひいては広宣流布の和合僧団の陣列から名実共に〝追放〟されたのです。

ウソを並べ立て、あたかも〝自分は正しい〟と取り繕って己の卑しさを誤魔化す──それが宮川という男の本性なのです。

(創価新報 2018年10月17日付)

3. 保田妙本寺と千葉創価学会の代表が会談

学会批判の坊主・宮川のウソが発覚

供養私物化で追放
今も懲りずに誤魔化し続ける

《宮川の主張》

①「妙本寺より、勿体なくも能化承認をいただいた」
②「妙本寺の重要な法要で副導師を務めた」
③「能化承認書がある」

《妙本寺は悉く否定》

①「妙本寺の能化など承認していない」
 「宮川が勝手に能化を名乗っているだけ」
 「うちの僧侶でもない」
②「副導師などやらせるわけがない」
③「(妙本寺に)能化承認書という書類は存在しない」

このほど、千葉県創価学会の代表が、日興門流の古刹・保田妙本寺(千葉県安房郡鋸南町)を訪問し、妙本寺側と会談した。近年、インターネット上で、学会批判を繰り返す坊主・宮川日護(旧名は雄法)は、あたかも、妙本寺の能化(一宗派の長老)であるかのように装い、自身を権威づけ、自らの信徒の獲得に躍起になっている。このたびの会談において妙本寺側は、同寺をめぐる宮川の主張について、〝事実無根〟〝作り話〟等、赤裸々に語った。
ここでは、宮川の主張を悉く否定した、妙本寺側の見解を紹介する。

かつて宮川は、日顕宗を離脱した後、改革同盟として兵庫県丹波市にあった創価学会の会館寺院「宝城寺」の住職を務めていた。

しかし、供養を私物化するなど金銭問題が発覚し、2010年(平成22年)2月、宮川は住職を解任される。

宮川は、それを不服として寺に居座ったため、同年6月、「宝城寺」は寺院明け渡しを求め提訴。2014年3月、宮川は敗訴している。(1. 供養の私物化で会館寺院から追放、2. 自らの卑しさで追放され学会を逆恨みを参照)

会館寺院を追放された宮川は、鳥取県内に住居を構え、そこを「寺院」と称して、僧侶としての活動を継続。宮川は、どこの宗派にも属さない、〝一介の坊主〟に身をやつしていた。

そんな宮川が目を付けたのが、保田妙本寺だった。

妙本寺といえば、日目上人の弟子・日郷が、1335年に開基した日興門流の古刹である。戦時中、日蓮宗身延派に合同していた妙本寺は、1957年、戸田先生の尽力などにより、日蓮正宗に帰一。同宗においては、富士妙蓮寺、讃岐本門寺、日向定善寺と並ぶ「大本山」格の一つであった。しかし、日顕が天魔の本性を現したのちの、1995年、日顕宗より離脱している。

宮川は、起死回生とばかりに、日興門流の古刹という〝ブランド〟を利用しようと、妙本寺に近づいたのである。

突如、「能化」宣言→のちに豹変

2016年9月、宮川は突如、「能化就任」を宣言する。それに伴い、「雄法」から「日護」という日号に改名した。

宮川は自身のフェイスブックにおいて、次のように書いている。

「(妙本寺の先代貫首・鎌倉日桜師の七回忌法要では)小泉久遠寺貫首、北山本門寺貫首、宮崎日向の各本山の面々が参列する中で、副導師を勤めた。妙本寺貫首 鎌倉日誠御当代能化上人には、私の37年の僧侶としての修行生活と海外布教の実績、更には大本山に対する貢献等を、評価していただき能化承認を頂いた」

「大本山 妙本寺貫首 鎌倉日誠能化上人より 勿体なくも能化承認を頂いた」

宮川が妙本寺の能化に就任し、法要で副導師を務めるほどの立場になった──フェイスブックの字面を読めば、誰もがそう受け取らざるを得ない書きぶりだ。

ところが、2018年9月、日顕宗の法華講員から、〝「日護」なる日号は、保田妙本寺でもらい受けたものなのか〟

〝保田妙本寺の能化ならば、教学的な質問に答えよ〟との追及を受けると、宮川は、〝妙本寺の能化という表現は正しくない〟などと、いとも軽々に、前言を翻した。

果たして、真実はどこにあるのか──。

妙本寺をめぐる宮川の主張は〝作り話〟
「能化」を自称? どこの宗派の坊主なのか

これについて、保田妙本寺は学会側との会談の席上、次のように明確に語った。

「これは全くの事実無根」
「うちの弟子でもなければ、うちの僧侶でも、能化でもない」
「(妙本寺の僧侶でも能化でもない宮川に)副導師をやらせることなどありえない。そんなことをしたら、檀家総代に怒られてしまう」

宮川は妙本寺の僧侶・能化にあらず──これが妙本寺の見解である。

この妙本寺の見解によって、〝妙本寺から能化の承認を受けた〟とする宮川の主張が、真っ赤なウソであることが明らかになった。

要するに、宗門に在籍していた際には住職でもない、在勤坊主であった宮川が、自らの 〝権威付け〟〝箔付け〟のために、まるで〝古刹の寺から承認を取り付けた〟かのように装っていたというわけだ。

このたびの会談を通じて、宮川が2年間にわたり名乗ってきた「能化」なる肩書が、いかに実体のないものであったのかが、露見したのである。

一体、宮川は、「何宗」の坊主なのか。如何なる教義を信奉しているのか──疑念は深まるばかりだ。

誰の手による「能化承認書」?

宮川の「『妙本寺の能化』詐称」に関連して、もう一つの疑惑も浮上した。

日顕宗の法華講員が、宮川の「能化」の実態について追及した際、宮川は自身のフェイスブックで、「能化承認書」なる書類の画像を掲載し、法華講員に対して反論している。

しかし、これについて、妙本寺側からは、次のような回答があった。

「能化の証明書なんてありません」
「うちが、こんな承認書を出す訳ないですし、第一、こんなもの存在しません」
「(妙本寺以外の人間が勝手に作ったのか、との学会側の質問に対して)そうでしょう」
「(妙本寺側は念押しするように学会側に対して)第一、能化になるための証明書なんてないですよ」

このように、妙本寺の「能化承認書」なるものが、存在しないことは動かぬ事実。

「『妙本寺の能化』詐称」に加え、「能化承認書」なる文書についても、妙本寺をめぐる宮川の主張の誤魔化しぶりが、浮き彫りになったのである。

いずれにせよ、今回の会談において、宮川の卑しい魂胆は明らかになった。

妙本寺の僧侶でないにもかかわらず、妙本寺を利用して自らを権威づけ、あたかも高僧であるかのように見せようとしていた宮川の思惑は、白日の下にさらされたのである。

宮川がフェイスブック上に掲載した能化承認書なる文書(2018年9月)。保田妙本寺側は〝こんな承認書、うちには存在しない〟と明言。掲載された文書は、誰が宮川を能化であると承認したのか、肝心要の部分には、〝目隠し〟が施されている。果たして、能化を承認した者とは一体誰なのか──謎は深まるばかりだ
保田妙本寺(千葉県安房郡鋸南町)

(創価新報 2018年11月21日付)

4. 宮川の〝二枚舌〟〝ご都合主義〟を象徴

日顕宗破折は「若気の至り」
日顕に「心よりお詫びしたい」

《過去の発言》

「この法主(=日顕)は狂っている!」
「僭聖増上慢の条件は全(すべ)て日顕に当てはまる」
「大聖人の命令に反逆したのが日顕」
「大聖人の仏法を破壊しようとしているんです、日顕は! だから、日顕と戦うん
です!」

《現在の言いぶり》

「(過去の日顕宗破折は)脱講だ!破折だ!寺院攻撃だ!と、若気の至りで、粋がっていた」
「日顕師への悪口罵詈など、優れた御人格を傷付けました事は、再び、お会いす
る機会)があれば、心よりお詫びしたい」

〝ニセ法主〟から授かった日号を堂々名乗る

―先月の新報では、学会批判の坊主・宮川が、自らを権威づけるために、保田妙本寺の能化であるかのように装う姑息な手口と、その卑しい魂胆が報じられていました。

宮川は〝自分は妙本寺の能化になった〟などと装い、日興門流の古刹・保田妙本寺という〝ブランド〟を利用して、自らの信徒獲得を狙っています。

〝妙本寺の能化〟であるかのように装うなど、全く事実に反することを、さも事実であるように偽り、見せかけて、自分を飾り立てる──これが、宮川という男の特徴です。

また、信徒獲得のために、宮川は過去に従事した教宣活動を引き合いに出し、〝自分は脱講世界一の僧侶だ〟などと吹聴し、学会員の目を晦まそうとしています。

しかし、その一方で宮川は、最近になって、何食わぬ顔で、これまでさんざんと批判してきた日顕への態度を豹変させたのです。

かつて宮川は、日顕を「不倶戴天の敵」であるとして、盛んに日顕宗破折を行っていました。

宮川は、教宣活動の場において、日顕のことを、次のように批判していました。

「この法主(=日顕)は狂っている!」
「(御書に仰せの通りに)僭聖増上慢の条件は全て日顕に当てはまります」
「大聖人の命令に反逆したのが日顕」
「大聖人の仏法を破壊しようとしているんです、日顕は! だから、日顕と戦うんです!」

等々、口角泡を飛ばして、日顕への批判を行っていました。

ところが、2018年(平成30年)8月、宮川はフェイスブック上で、それまでの日顕への態度を豹変させたのです。

「20数年前の私の下関市での宗門研修ビデオをアップして下さり恐縮です。自分で観ても赤面する内容です。脱構(原文ママ)だ! 破折だ! 寺院攻撃だ! と、若気の至りで、粋がっていた頃です」

「私自身、反省懺悔すべき人としての振る舞いは無数にあります。蔵の財たる金や物への執着は余り有りませんが、身の財としての、人からの評価や賞賛などを求める余り、日顕師への悪口罵詈など、優れた御人格を傷付けました事は、再び、お会いする機会があれば、心よりお詫びしたいと思っております」

自らが率先して行った日顕宗破折を「若気の至り」と自嘲し、日顕を「優れた御人格」などと気恥ずかしいほどに持ち上げ、日顕に会ったならば「心よりお詫びしたい」と述べたのです。

この宮川の投稿が、フェイスブック上に掲載されると、これにはさすがに、宮川とつるみ、学会を批判する同調者たちからでさえも、異論や抗議が噴出しました。

騒ぎが起こるやいなや、宮川は、姑息にも、〝日顕に心よりお詫びしたい〟と述べた投稿を、すぐに削除しました。

これは、宮川の性根を如実に示す一幕でした。

「蔵の財より、身の財すぐれたり、身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは、心の財を積ませ給うべし」と仰せであります。
私自身、反省懺悔すべき人としての振る舞いは無数にあります。
蔵の財たる金や物への執着は余り有りませんが、身の財としての、人からの評価や賞賛などを求める余り、日顕師への悪口罵詈など、優れた御人格を傷付けました事は、再び、お会いする機会があれば、心よりお詫びしたいと思って

都合が悪くなると、宮川は、この投稿を削除(投稿は 2018年8月)

―宮川は、〝自分は脱講世界一の僧侶だ〟などと自慢しておきながら、〝日顕宗破折が若気の至り〟〝日顕に心よりお詫びしたい〟などと述べているのを見ると、宮川のあらゆる発言は、まるで信用に値しない虚言であるように思えてなりません。

一介の坊主にすぎなかった宮川は、自らに〝箔をつける〟ために古刹の寺を利用し、突如、「(妙本寺から)能化承認を頂いた」と宣言しました。

その際、宮川は「雄法」から「日護」と改名。その「日護」なる日号は、なんと、あの日顕から授かったものだったのです。

宮川はフェイスブックで、日顕への尊敬の念を表しつつ、日号の由来も明かしています。

「私にとって、『出家』の師匠は、総本山第六十七世、日顕法主であり、この事も終生変わらない。日護と言う日号は、阿部日顕法主の命名である」

かつては口汚く罵った日顕から授かった日号を有り難がり、堂々と名乗るだけでなく、さらには日顕を〝終生変わらない師匠〟と呼んでいるのです。

こうした宮川の姿は、結局のところ、宮川が過去に行った日顕宗破折・脱講活動さえもが、〝人からの評価や賞賛などを集めるために行ったもの〟であって、所詮は、人気取りのパフォーマンスにすぎなかったことを雄弁に物語っています。

まさに、〝ご都合主義の二枚舌坊主〟。それが宮川という男の本性です。

―宮川にとっては、全ての事柄が、自らを権威づけるための〝商売道具〟にすぎないというわけですね。

ある時は〝妙本寺の能化〟であるかのように偽り、ある時は〝脱講世界一〟だと吹聴し、揚げ句は、〝日顕は師匠〟〝過去の無礼を日顕に謝りたい〟などと臆面もなく言い放つ──このように、宗教的信条などおかまいなしに、人を誑し込むためであれば、どんなに矛盾する口上でさえも、平然と言ってのける。

それが、宮川という男の常套手段なのです。

(創価新報 2018年12月5日付)