退転・反逆の輩 波田地克利とその一派

1. 週刊誌などデマ記事もとに煽動 学会員を誑かし〝脱会者づくり〟目論む

―この連載で紹介された、組織内組織を形成して学会と会員に迷惑を及ぼし会員除名処分となった元職員3人らの「足軽会」なるグループ、供養を私物化して会館寺院を追放された宮川日護のほかにも、学会の組織攪乱狙うグループがあると聞いたのですが。

それは、創価学会から会員除名処分を受けた波田地克利なる人物を中心とした一派です。

現在、波田地らは、不特定多数の人が自由に閲覧することができるインターネット掲示板(けいじばん)やSNSを使い、〝学会執行部がおかしくなった〟などと、悪意とデマに基づく誹謗中傷をしています。

しかも、波田地ら一派は、彼らのデマに影響を受けた各地の学会員に近づき、〝地元組織では教えてくれない学会本部の本当の姿を教えてあげる〟などと、言葉巧みに、グループの集会に誘っています。

そこで、波田地らは虚実織り交ぜた情報を基に悪意に満ちた与太話を吹き込んでは、集会に参加した学会員を誑かそうと、躍起になっています。

このようにして、波田地らは、多くの学会員を惑わし、不信を煽っては、彼らの一派に引きずり込もうと目論んでいるのです。

要するに、彼らのやっていることは、日顕宗の〝脱会者づくり〟のようなものなのです。

―中心者の波田地は、どのような経過で除名されたのでしょうか。

かつて、中心者の波田地は本部職員でしたが、青年部時代の教宣活動や職務を通じて知り合った人脈を悪用し、学会で厳禁とされている独自のグループ(組織内組織)を形成。

2006年(平成18年)には、職員の立場を悪用して、彼らのグループなどに情報を漏洩したことにより、学会本部を諭旨退職処分となりました。

その後も、波田地はグループ活動を継続させ、2008年ころから、メーリングリストや非公開のSNSグループなどをつくったり、集会を開いたりしては、そこで虚実織り交ぜた情報を流し、学会執行部への誹謗中傷を激化させていきました。

たとえば、波田地は、グループの集会の参加者に対して、事前に、週刊誌などの学会批判のデマ記事をメールで送付し、熟読して臨むよう指示。

集会では、それらを題材にして、波田地が講義を行い、〝すごい本質を突いた、今の信濃町を分析している鋭い見解です〟などと、デマ記事を持ち上げて、〝この記事が示すように学会本部はおかしくなっている〟などと、解説。

揚げ句、〝いよいよ、学会執行部を倒すために立ち上がる時だ〟と、気勢をあげる始末でした。

波田地は、彼らのメーリングリストにおいても、荒唐無稽なデマを流しては、〝本物の弟子である自分たちが学会執行部を倒さないといけない〟〝倒すことができれば、広宣流布の万代の基盤は完成する〟などと、グループのメンバーを煽動していました。

また、波田地の語る与太話が出元となり、一部マスコミに学会中傷の記事が掲載されたこともありました。

このように、波田地は、〝不信や分断の火種〟をつくり、拡散させて、学会の「異体同心の団結」を崩そうと「組織攪乱」に及んでいたのです。

学会は、波田地を中心としたグループ活動が、創価三代の会長が築いた学会の組織を攪乱する組織破壊行為であるとして、2013年12月、波田地を会員除名処分にしました。

―学会活動などで築いた人脈を悪用して、グループを形成し、組織攪乱に及ぶなど、言語道断というほかありませんね。

その後、波田地は会員除名処分を不服として学会を提訴しましたが、裁判所は、〝独自のグループなど形成・主導していない〟〝学会全体への誹謗中傷などしていない〟等と詭弁を弄して言い張る波田地の主張を、「いずれも採用することができない」と悉く排斥。

2017年12月、最高裁で波田地の全面敗訴が確定しました。

そもそも、波田地が、このような誹謗中傷をするに至った理由を一言でいえば、学会執行部への怨嫉からでした。

怨嫉から、誹謗中傷に血道を上げて除名になった波田地が、いくら御託を並べたところで、所詮は、信心を狂わせた者の〝悪あがき〟にすぎないのです。

そんな波田地らの言動に、そそのかされたり、惑わされたりして、信心を紛動されるようなことがあってはなりません。

破和合僧を働き、学会を追放された波田地ですが、その後も、反省の色なく、同調者と結託し、誹謗中傷に狂奔しています。

まさしく、その姿は、自らの信心の狂いから退転・反逆し、堕落の末路を辿っていった者たちと軌を一にするものです。

それが、波田地克利と、その一派なのです。

(創価新報 2019年3月20日付)

2. 利用価値ありと見るや 見境なく飛びつく無節操

―波田地が学会の会員除名後、彼らの一派は、他の処分者らと連携して、中傷活動を行っていると聞いたのですが。

前回紹介した通り、波田地は、学会で厳禁とされている独自グループ(組織内組織)を形成し、そのグループ活動によって、学会組織を攪乱する組織破壊行為に及んだがゆえに、学会を追放されました。

その波田地ら一派が、近年、やってきたことはといえば、かつて、学会や多くの学会員に迷惑をかけて各地で処分された人物らをかき集めて、学会を誹謗中傷していくための〝野合勢力づくり〟でした。

波田地らは、なんと、裁判所から厳しく断じられた、あの元職員3人(小平秀一、滝川清志、野口裕介)とも連携していたのです。

波田地らが彼らと連携するに至る経緯は、次のようなものでした。

2013年(平成25年)12月の波田地の除名以降、波田地ら一派は、学会員を誑かして自分たちのグループに引き入れるための策を練るなど謀議を重ねては、あの手この手を使い、一派の拡大に躍起になっていました。

しかし、月日がたてども、波田地らの思うように事は進まず、行き詰まった波田地らは、2015年のある時、今後の学会組織を攪乱するやり口について話し合う集会を開きました。

この集会で波田地は、居並ぶ一派の面々に、こう述べました。
「小平君(元職員3人の小平)と、この間、会った」「今日、ここに(小平たちを)呼んだけど、九州旅行へ皆で行ったって言うんで、(今日はこの集会に)来てないんですけど、川崎の3人の元職員のブログが今、反響を呼んでますよね」──。

当時、ブログやサイレントアピールなる行動を開始し、世間への露出度が高まっていた元職員3人を利用しようと、波田地は小平と直接会って、自分たちの集会に誘っていたのです。

さらに、波田地は、こう切り出します。

「現実、除名者ってどのくらい集まるの?」「僕」「川崎だれの3人……」「あと誰?」「もうすぐ10人になるよ。もっと探せばいい」──。

波田地は、各地で問題を起こし、波田地らとは別の理由で学会から処分を受けた独自グループの中心的な人物の名を思いつくままに指折り挙げては、〝もっと探して、かき集めよう〟などと一派の面々に呼び掛けたのです。

波田地は、そのような処分者らを自分たちの一派に取り込んで、彼らを利用して、「簡単に言えばね、(波田地らの集会に)集まるメンバーを増やしましょう」と述べるなど、新たな方針のもと、同調者づくりを進めよう、と提案。

要するに、波田地らは、小平らをはじめ各地の処分者たちと野合することで、さも波田地らの主張が多くの人間に支持されているかのように見せかけて、自分たちの行き詰まりを打開しようと目論んだのです。

―そのようなことを画策していたのですか。驚きです。

そもそも、小平らは、学生部時代に「足軽会」なる独自グループを形成し、集団的問題行動を起こして、学会と地域の多くの学会員に迷惑をかけ、学会本部と地元組織からの再三にわたる指導にも従わず、グループ活動を継続させ、除名されています。

また、小平らは学会本部から受けた職員の懲戒解雇処分について、その無効を求めて提起した裁判で敗訴。

裁判に敗れた彼らは、今度は懲戒解雇処分の前になされた配置転換、譴責処分が不当であると蒸し返して提訴しました。

彼らは裁判において、〝自分たちに対する学会の指導に問題があった。その是正を求め続けた自分たちの行動こそ、学会指導に従った正義の行動であった〟等と主張しました。

しかし、約3年にわたる審理を経て裁判所は、2019年3月、そのような小平らの本質を次のように鋭く指摘しました。

「(学会指導等の一部を)殊更に強調して、これを大義名分として、創価学会の将来のための重大な問題であるなどと論点をすり替え、自らにこそ正義があり、その正義を通すために行動せんとする姿勢に陶酔するかのごとく被告(=創価学会)に抗ったものである」

さらに裁判所は、小平らの独善的な主張や誤魔化しの弁解に対しても、「詭弁というほかない」と厳しく指弾したのです。(「元職員らの中傷行動について 8.東京地裁 元職員3人の訴えを棄却」を参照)

〝自己陶酔〟〝詭弁〟──これほどまでに厳しく断じられた小平らを、波田地らは利用しようとしていたのでした。

これまで波田地は、インターネット上や彼らの集会において、〝学会執行部がおかしくなった〟〝本物の弟子である自分たちが学会執行部を倒さなければいけない〟〝倒すことができれば、広宣流布の万代の基盤は完成する〟などと、散々、喧伝してきました。

しかし、結局のところ、波田地らがやろうとしたことは、学会や多くの学会員に迷惑をかけて処分された人物らを集めて、誹謗中傷を繰り返すことだったのです。

このような波田地らのやり口は、自分たちの企みに利用できるとみるや、手当たり次第に見境もなく飛びつく波田地らの〝無節操さ〟を象徴する事例です。

そんな波田地らが、三代会長の指導のままに、世界広宣流布に前進する学会を云々すること自体、笑止千万と断じるほかありません。

―彼らに学会をどうこう言う資格などありませんね。

冒頭の謀議を受け、波田地らの関係者は小平らの集会に出入りしたり、ネット上で彼らの言動を持ち上げてみたり、その他の処分者グループの集会にも出入りするなどして、連携を深めていきました。

波田地らに誑かされた処分者らも、自分たちの集会やネット上などで、波田地らに歩調を合わせて、学会への誹謗中傷を繰り返すなど、各地の学会員を誑かそうと連動していきました。

一部では、彼らが垂れ流した誹謗中傷を鵜呑みにしてしまった学会員が、波田地ら一派の集会に参加するに至った事例も出ています。

しかし、この波田地らが仕掛けた野合勢力も、結局、長くは続きませんでした。

波田地と処分者らは、信心を狂わせた者同士が、互いのエゴとエゴをぶつけ合い、反目し合うまでになったようです。

それでもなお、波田地ら一派は、インターネット掲示板やSNSを取っ掛かりにして、各地の学会員とつながろうとするなど、巧妙な手口で、同調者づくりに躍起になっています。

所詮、波田地らのやっていることは、自分たちの起こした問題を棚に上げて、悪あがきしているにすぎません。

このような信心を狂わせた波田地らに惑わされたり、誑かされてしまえば、結局は、正しい信心の軌道から外れてしまうことになります。

それゆえに、彼らの正体と、その企みを鋭く見破っていかなければなりません。

(創価新報 2019 年6月19日付)

3. 「鮮やかに勝てる」と提訴するも 裁判所から一蹴

―前回、波田地らが利用した元職員3人が裁判所から厳しく断じられたことが紹介されていましたが、会員除名処分となった波田地が学会を訴えた裁判とは、どのようなものだったのでしょうか。

そもそも、波田地が除名されるに至った経緯は、以下のようなものです。

波田地は、青年部時代の教宣活動などで知り合った人脈を悪用し、学会で厳禁とされている独自のグループ(組織内組織)を形成。

2006 年(平成18年)には、本部職員の立場を悪用して、彼らのグループなどに情報を漏洩したことにより、学会本部を諭旨退職処分となりましたが、その後も、波田地はグループ活動を継続。

2008年ころから、波田地は学会執行部への怨嫉から誹謗中傷を激化。メーリングリストや非公開のSNSグループなどをつくり、集会等を開催したりして、そこで週刊誌など学会批判のデマ記事を用いて、〝この通りに学会本部がおかしくなっている〟〝本物の弟子である自分たちが学会執行部を倒さないといけない〟〝倒すことができれば、広宣流布の万代の基盤が完成する〟などと煽動。この波田地の与太話を真に受け、惑わされる会員まで出るに至りました。

また、波田地の話が出元となり、一部マスコミに学会中傷の記事が掲載されたこともありました。

このように、独自のグループ(組織内組織)を形成・主導し、与太話を吹き込んでは幹部に敵対するメンバーを糾合しようと謀るなど、〝不信や分断の火種〟をつくり拡散させ、学会の「異体同心の団結」を破る組織破壊行為に及んだことから、2013年12月、波田地は会員除名処分となったのです。

しかし、波田地は、除名処分は無効であるとして、2014年9月に裁判を提起しました。

提訴後、波田地は一派の面々に、「一番鮮やかに勝てる可能性の高い裁判」「ちょっと裁判で面白いことをやってみようかなと思ってますんで」「みなさん方からも色々智慧を貸して頂いて」などと、吹聴していました。

「鮮やかに勝てる」などと触れ回ったものの、いざ、蓋を開けてみれば、むしろ裁判で 〝鮮やか〟になったのは、独自のグループ(組織内組織)を形成した事実を誤魔化そうと、自分はグループを主導していないなどと姑息な言い逃れを図る波田地の哀れな姿でした。

―どのように言い逃れを図ったのでしょうか。

たとえば、波田地に対して行われた尋問で、波田地は、グループの連携・結束の重要な手段であったメーリングリストの開設の発起人ではない等と述べて、言い逃れを図ろうとしました。

しかし、波田地がメーリングリストに投稿したメールの中で、「絶対に情報を漏らさない」等の7つの条件を提示して参加資格としていた事実や、メーリングリストの名称を波田地が命名したり、さらには〝本物の弟子である自分たちが学会執行部を倒さないといけない〟とメンバーに呼び掛けていたことなど、グループの主導者が波田地であることを示す具体的な事実を指摘されると、波田地は不自然・不合理な弁解に終始したのです。

裁判所は、2016年10月、「原告(=波田地)の主張はいずれも採用することができない」と、波田地の訴えを排斥。2017年3月の控訴審でも、「控訴人(=波田地)に対する除名処分の基礎となった事実関係についての被控訴人(=学会)の認定判断は相当である」「控訴人の主張は採用することができない」と波田地の訴えを全面的に斥け、同年12月、最高裁も波田地の上告を棄却。

このように、波田地の言い逃れの弁解は、裁判所からも一蹴されたのです。

―それにしても、「鮮やかに勝てる」との波田地の言葉を信じた一派のメンバーは、哀れの一言に尽きますね。

これまで波田地は、グループ内において、〝自分は論客である〟などと、散々自慢げに吹聴してきましたが、いざ裁判になると、独自のグループを主導していた実態を誤魔化そうと姑息な弁解に終始しました。

そのような波田地が〝論客〟などと自負すること自体、滑稽千万というほかありません。

「鮮やかに勝てる」と触れ回った一派の面々に、波田地は一体、どのような弁解をしたのでしょうか。

―こうした輩の口車に乗せられぬよう、その本質を見抜いていくことが必要ですね。

波田地に限らず、不祥事を起こし、学会に迷惑をかけ、退転・反逆した輩に共通しているのは、必ずと言っていいほど逆恨みし、〝巨悪〟を仕立てあげては、自らがその〝犠牲者〟であるかのように装い、〝巨悪と戦う正義の士〟を演じようとする点にあります。

日蓮大聖人は、「修羅が仏は十八界我は十九界と云ひ外道が云く仏は一究竟道我は九十五究竟道と云いしが如く」(御書961㌻)と仰せです。

すなわち、〝修羅は「仏は十八界しか説かないが、自分は十九界を説く」と言い、外道は「仏は一究竟道だが、自分たちは九十五究竟道だ」と言う〟と、悪知識の手口を鋭く看破されています。

いい加減な話で、人を惑わし、誑かし、退転させようとする。これが和合僧団を破壊しようとする輩の常套手段なのです。

また、大聖人は、反逆の輩の言い草についても、「日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべし」(同㌻)と明らかにされています。

つまり、退転・反逆の輩は、あたかも方法の違いのように見せかけて、実のところ、易きに流れ、賢しげな気分に溺れ、批判に明け暮れて、結局、「師匠の心」「異体同心の輪」から、外れてしまうのだと厳しく断言されています。

この誡めを肝に銘じ、魔に付け入る隙を与えぬよう求道心を燃え上がらせ、自身を鍛え抜き、学会活動に励むなかにこそ、広布の実現があるのです。

(創価新報 2019年9月4日付)