苦も楽も 前を向く力に 2023年8月度座談会拝読御書「四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)」

創価学会では、毎月、全国各地で座談会という集いを開き、鎌倉時代の日蓮大聖人(1222年~1282年)が書き残された「御書」(論文や手紙など)を学び合います。機関誌の「大白蓮華」や「聖教新聞」には、その月に学ぶ「座談会拝読御書」を解説する記事が掲載されていますので、ここでは、信仰を持っていない方々にも理解しやすい視点から、青年部員が御書の内容を解説します。

こんにちは!8月度担当のひろかつです。

毎日暑いですね。出勤するだけでもう汗だくです。その点、我が家で飼っている保護猫は涼しい室内で一日中のんびり。うらやましい限り。

ですが、もし自分が本当に毎日家にいるだけになってしまったら、飽きてしまうだろうなとも思います。ただ楽ちんなだけでは何か物足りないのが人間なのでしょうか。

今月の座談会拝読御書では、本当の「楽」とは何かを考えます。

拝読御書について

今回学ぶ「四条金吾殿御返事(衆生所遊楽御書)」は、1276年(建治2年)6月27日、日蓮大聖人が55歳の時に身延で著され、鎌倉の中心門下であった四条金吾に送られたお手紙です。

当時の四条金吾は、主君からの冷遇や同僚からの嫉妬に悩まされていました。職場で上司や同僚との人間関係がうまくいかなくて悩むことって、現代でもよくありますよね。まして当時は封建的な時代です。主君とうまくいかなくなると、社会生活上で大きな影響があります。現代のような転職をするわけにもいきません。そのような状況の弟子を励まされたのが、この御書です。

別名は「衆生所遊楽御書」。「衆生所遊楽」とは、『法華経』如来寿量品の言葉で、「衆生の遊楽する所なり」と読みます。「衆生」とは生きる者のことで、当然私たちも含まれます。「所」とは私たちが暮らす現実社会。「遊楽」とは遊び楽しむこと、幸福な状態のことです。

つまり法華経は、〝私たちが今いるこの現実社会は、遊び楽しむような最高の場所なのだ〟と説いている経典なのです。

はたして素直に「その通り!」と思えるでしょうか?現実はそんなに楽しいことばかりではないですよね…。

では、なぜ大聖人は、悩みのまっただ中にいる四条金吾に、そのような言葉を贈られたのでしょうか。

そのままの姿で祈ること

本文

苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経とうちとなえいさせ給え。これあに自受法楽にあらずや。
いよいよ強盛の信力をいたし給え。

(御書新版1554ページ7行目~9行目・御書全集1143ページ5行目~6行目)

意味

苦を苦と覚り、楽を楽と開き、苦も楽もともに思い合わせて南無妙法蓮華経と唱え抜いていきなさい。これこそ自受法楽ではないか。
ますます強盛な信力を尽くしていきなさい。

語句の説明

・「自受法楽」(じじゅほうらく)
「自ら法楽を受く」と読む。法楽とは仏の覚りを享受する最高絶対の幸福のこと。妙法の功徳を自身で享受すること。

苦しいときは苦しいまま。楽しいときは楽しいまま。ありのままの心で南無妙法蓮華経と唱える実践(唱題行)を勧められています。そして、これこそが最高の幸福なのだと訴えられています。これは、どういうことでしょうか。

まず「苦をば苦とさとり」とは、苦しみに惑わされないことです。人間である以上、病気や人間関係など悩みはつきものです。思わず、現実逃避したくなることもあります。しかし、冷静に見つめることができれば、どうでしょう。

例えば、「今は苦しいけど将来のために頑張って耐えるぞ!」とポジティブに捉えたり、「この悩みは自分の限界を超えているから、誰かにヘルプを出そう」と判断できたり、賢明に対処することができます。

とはいえ、苦しんでいる最中は、なかなか冷静になれませんよね。そこで、苦の思いのままに祈ることによって、自分を見つめていくことができるのです。

次に「楽をば楽とひらき」ですが、簡単に言うと楽しいときや喜んでいるときは、その気持ちのままに祈っていこうということです。そうすると、感謝の気持ちが起こってきます。そして、さらなる向上心をもって生きていくこともできるのではないでしょうか。

つまり、唱題行とは、今の自分の状況が苦であれ楽であれ、自分自身を見つめることによって、着実に前に進んでいくための原動力となるものです。言い換えれば、もともと自分自身にそなわっている計り知れない力を発揮していくための実践です。

「欲楽」と「法楽」

さて、「楽」という字自体には、楽しいという意味も、楽(らく)という意味もありますよね(願うとか、奏でるなどの意味もあります)。ここでは、「欲楽」と「法楽」という2つの言葉から、御書の意味を考えたいと思います。

欲楽とは、一時的な、その場限りの楽しさのこと。おいしいものを食べても、いつかは空腹になります。ゴロゴロしていて気持ち良さそうにしている猫も、この「欲楽」の状態にあたるでしょう(おそらく)。

一方の「法楽」とは、自分自身にもともとそなわる生命力を発揮し、どんな環境にも左右されない揺るぎない幸福の状態と言えます。例えば、どんな仕事でも、自身の成長や社会貢献を感じて楽しめるようになり、嫌なことがあったとしても悠々と見下ろしていくことができるような状況です。

つまり「楽をば楽とひらき」とは、「欲楽」の状態から、より深い自身の生命力を引き出して、「法楽」の状態に達していくことと捉えることができます。

美味しいものを食べたり、休日にリフレッシュしたり、その場限りの楽しさを味わうことが、もちろん悪いわけではありません。しかし、人生は「欲楽」だけを満喫して過ごせるわけでもありませんよね。

目先の「欲楽」だけにとらわれることなく、楽しみながらも将来をしっかり見据えられる賢さをそなえた力強い生き方が「法楽」です。しかも「自受」とあるとおり、自身の力を発揮していくことで、生きていること自体が楽しいと思える自分になれる。そうなるための実践が、日蓮大聖人が打ち立てられた唱題の実践なのです。

切羽詰まったとき、祈っていても最初は苦しさしか感じないかもしれません。しかし、祈り続けていくうちに、苦を乗り越えていく力を発揮していくことができるようになります。

この御書を送られた四条金吾は、その後も何度も大聖人に相談をしながら祈り抜く中で、いつしか主君の信頼を回復でき、所領を増やす結果となりました。

びくともしない自分に

最初に触れた「衆生所遊楽」という言葉の意味も、私たちが今いる現実社会で何があろうとも幸福になれる、「法楽」を表していると言えます。

池田先生は「本当の『遊楽』とは、何も悩みがないことではない。晴天ばかりが続くことではなく、雨の日も、雪の日も、嵐の日にも、堂々と、びくともしない大殿堂のごとき自分自身を建設することなのです」(『永遠の経典「御書」に学ぶ』第3巻)と述べています。

うれしいときも、悲しいときも、苦も楽も悩みも、もちろん平常心であっても、ありのままの自分から前向きな力を引き出していく。日々、ポジティブに生きていくことで〝本当の幸福〟を開くのが、創価学会の信仰なのです。

御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。

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