感謝を忘れない 2023年10月度座談会拝読御書「報恩抄」

創価学会では、毎月、全国各地で座談会という集いを開き、鎌倉時代の日蓮大聖人(1222年~1282年)が書き残された「御書」(論文や手紙など)を学び合います。機関誌の「大白蓮華」や「聖教新聞」には、その月に学ぶ「座談会拝読御書」を解説する記事が掲載されていますので、ここでは、信仰を持っていない方々にも理解しやすい視点から、青年部員が御書の内容を解説します。

こんにちは!10月度担当のレンタローです!
秋の気配が心地よく感じられる日々、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。

今年はインフルエンザの流行が早まり、新型コロナウイルスの感染症も要注意!私はまた、マスクを付け始めました。

というのも最近、わが家ではいろいろと大変でした(子どもの風邪・発熱など…)。日常生活のリズムが崩れてしまい、仕事の多忙な時期も重なって、ちょっと参ってしまいそうで…。

しかし、親、兄弟、職場の人たち、学会の方々の配慮やサポートがあって、なんとか乗り越えることができました。

自分が大変な時こそ、人の温かさを感じられ、それによって、普段からたくさんの人たちに支えてもらっていることに、改めて気づくことができますよね。

そんなことを思いながら、今回の座談会拝読御書は「報恩抄」を学んでいきます!

拝読御書について

「報恩抄」は建治2年(1276年)、日蓮大聖人が身延で書かれたお手紙です。

お手紙を書かれたきっかけは、道善房という人物の逝去でした。若き日の大聖人が安房国(現在の千葉県)で出家した当時、師となった人です。大聖人は、この道善房のもとで仏教を広く学びます。やがて関西への遊学を経た大聖人は、〝法華経こそ最高の法である〟との確信のもと、南無妙法蓮華経の題目を唱えられ始めます。

しかし、法華経を根本とした信仰という面で、大聖人と道善房には距離があり、道善房はそれまで信仰していた念仏への執着を捨てることができません。それでも大聖人が、自分を育ててくれた旧師の恩を忘れることは、ありませんでした。訃報に接して、報恩感謝の思いをこめて執筆され、かつて道善房の下で共に学んだ浄顕房、義浄房という兄弟子に送られたのが本抄です。

大聖人は、次のように書かれています。
「仏教を学ぶものが、どうして父母、師匠、国土や社会の恩を忘れてよいであろうか。この大恩を報ずるためには、必ず仏法を学び究めて、智者とならなければ叶うことではない」(御書新版212ページ・御書全集293ページ、現代語訳)

仏法を学び究め、智者となることが報恩の道――。この点を今回の研鑽範囲から考えたいと思います。

誰も弘めなかった教え

本文

日本乃至漢土・月氏・一閻浮提に、人ごとに有智・無智をきらわず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし。このこといまだひろまらず。一閻浮提の内に仏の滅後二千二百二十五年が間、一人も唱えず。日蓮一人、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もおしまず唱うるなり。

(御書新版261ページ4行目~6行目、御書全集328ページ16行目~329ページ1行目)

意味

日本から中国、インド、そして全世界において、仏法の智慧がある人と、そうでない人を分け隔てることなく、一人一人がみんな一緒に他の修行を捨てて、南無妙法蓮華経と唱えるべきである。このことは、いまだ弘まっていない。全世界の中で、釈尊の入滅後、二千二百五十年の間、一人も唱えなかったのである。ただ日蓮一人が、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と、声も惜しまず唱えているのである。

この御文ではまず、日本だけではなく、海を越えて中国、インド、そして全世界のすべての人々が信じ、唱えるべき法こそ南無妙法蓮華経であることを述べられています。

大聖人が打ち立てられた南無妙法蓮華経は、万人成仏――あらゆる人々を成仏へと導く教えであり、すべての人々の幸福を開く力があります。それは、一人も残らず皆にそなわる〝仏の生命〟を引き出す教えだからです。

しかし、大聖人が続いて述べられているように、鎌倉時代の当時、まだ誰も知らず、弘まっていません。釈尊の最高の教えである法華経を数々の難に遭いながら不惜身命(注)で実践し、自身が覚知した南無妙法蓮華経という法華経の肝心の教えを弘められたのは、大聖人しかおられなかったのです。まさに「ただ日蓮一人が、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と、声も惜しまず唱えているのである」との言葉の通りです。

(注)不惜身命[ふしゃくしんみょう]
法華経勧持品第13の文(法華経412㌻)。「身命を惜しまず」と読み下す。仏法求道のため、また法華経弘通のために身命を惜しまないこと。

激しい圧迫があることを承知の上で、そして実際に命に及ぶような迫害に襲われながら、それでも大聖人はこの前代未聞の真実の教えを、先駆けて人々に伝えていかれました。その原動力は何でしょうか。〝苦しむ人々を何としても救いたい〟という深い慈悲はもちろん、それこそが仏法者としての報恩の道であるとの強い思いもあったことが本抄から分かります。

報恩こそ 人間の証し

つまり「恩に報いる」=「自身の道を貫く」。その道が、あらゆる人々を成仏へ導き、よりよい社会を切り開いていく道であるからこそ、大聖人の生き方は不動でした。

次元は多少異なっていても、こうした生き方は現代を生きる私たちの模範になるものではないでしょうか。

仕事でも、家族でも、これまでの人生でも、いろいろな人たちの応援があって、今の私たちがあります。直接、感謝の思いを伝えることも大事です。その上で、いま自分がいる場所で、力を尽くしていく、役割を全うしていく、職場や家庭、社会に貢献していく。そんなこともまた、支えてくれた方々への恩返しとなるはずです。

恩ある人の期待に応えようと生きる。それが仏法者の姿なのです。

私も、仕事などで特に気合いが入るのは、親、友達、職場の先輩など周囲の方々への感謝の思いが湧いたときです。「その人たちのために、なんとしても頑張ろう!」と燃え上がります。信仰を持っていなくても、その思いは割と共感してもらえるのではないでしょうか?

池田先生は語っています。
「恩を知り、恩に感謝し、人生をかけて恩に報いていく――。『報恩』こそ、人間の証しである。報恩は、自分が受けた恩恵を、次の世代に贈ることによって完結する」(2009年4月28日)

恩を感じ、応える生き方が、一人から一人へ次々に広がっていけば、とても素敵で輝く社会になっていくと思います。

御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。

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