不登校経験者が考える。「生きづらさ」ってなに?

私には学校に行けなかった時期がある。

中学2年から約1年間にわたって学校を休み、主に自宅で過ごした。当時の記憶を呼び起こしながら、「生きづらさ」について考えてみたいと思う。

文部科学省の調査によると、令和2年度に「不登校」と見なされた小中学生の数は過去最多の19万人超(※)。児童生徒の自殺者数も415人(※)と、同じく過去最多を記録した。不登校の主な要因として最も多かったのが「無気力・不安」。コロナによる生活環境の変化も相まって、学校という〝小さな社会〟にも「生きづらさ」は蔓延しているようだ。

「生きづらさ」の背景に何があるのか

私が学校を休んでいた当時、なぜこんな状況になってしまったのか、自分でも分からず苦しい日々を送った。だが今になって考えると、おぼろげながら原因が見えてくる。

一言で言えば「周囲との違いに困惑した」のだ。

どちらかというと感情をストレートに表現するタイプだった私は、しばしば他の生徒や教員と対立した。そうしたことを重ねていく中で、〝誰も自分の気持ちを分かってくれない〟という思いと〝みんなの気持ちが分からない〟という思いに苦しんだ。その結果、学校に行けなくなったのである。

人間は理解や共感を得られないと、居場所を失い、強い孤独感に苛まれる。特に子どもたちにとっては、学校という小さな箱が、世界そのものであったりもする。そこで自分の存在価値を見いだせなければ、この世から取り残されたと感じてしまっても不思議ではない。

現代社会には「こうあるべき」という同調圧力や寛容性の欠如、選択の不自由さがあるように思う。そうした中で感じる「生きづらさ」とは、〝自分の存在の正当性を見失った状態〟と言えるのかも知れない。

「あなたを信じている」というメッセージ

聖教新聞で連載中の「My Homeroom~不登校だった私~」で、ノンフィクション作家・石井光太氏のインタビュー記事が掲載されていた。石井氏は、創価学会が悩みを抱える人たちにとって、安心・安全な「第三の居場所」としての役割を果たしていると語っている。

大抵の人は、家庭や友達関係でうまくいかなくなった時に、行く場所が、なかなかないわけです。対して、学会には老若男女を問わず、さまざまな人がいて、悩みを抱えた人たちの居場所となっています。(石井光太氏)

創価学会の活動の根幹には、「全ての人に具わる無限の可能性を信じる」という、法華経の「万人成仏」の考え方がある。どんな状況にいる人に対しても「私はあなたを信じている」というメッセージを、言葉と行動で発信し続けるのである。居場所を失ったと感じている人にとって、それがどれほど大きな安心になるだろうか。

創価の哲学に見いだした希望

私が再び学校に通えるようになったきっかけとしては、一人の壮年部の方との出会いが大きかった。

初めて会った時、私の態度は最悪だったに違いない。〝どうせ俺の気持ちなんて分からないだろ〟と、攻撃的な感情を隠すことなく、まき散らした(当時は全ての人に敵意をむき出しにしていた気がする)。

そんな私の悪態をとがめることなく、壮年は突然、教学の講義を始めた。そして淡々と「十界論」を説明し終えると、「だから、あなたは苦しんでいるんです」と。私は予想外の展開に驚いたが、今思えば、この瞬間、私は白旗を上げていた。それほど壮年の語る内容が、図星だったのだ。

私は〝どうすればいいか分からない〟という苦しみやイラ立ちをぶつけた。うまく言葉にできていたとは思えないが、その壮年はうなずきながら、根気強く耳を傾けてくれた。最後は涙を流して、「あなたなら、必ず乗り越えていけますよ」と言ってくれた。

出会って1時間も経っていない。だが、すでに私の心は変わり始めていた。

その後も、池田先生の言葉や御書を通して、その壮年は励ましを送り続けてくれた。そうした温かな関わりの中で、私は、自分の生命に具わる可能性に目を向けることができるようになっていった。創価の哲学に希望を見いだし、「変われるかもしれない」という思いが芽生えたのだ。それから教室に戻るまでに、そう長い時間は必要としなかった。

使命を模索する中に成長が

池田大作先生は語っている。

たとえ諸君が、自分で自分をだめだと思っても、私はそうは思わない。全員が使命の人であることを疑わない。だれが諸君をばかにしようと、私は諸君を尊敬する。諸君を信じる(『青春対話』より)

創価学会には、こうした師の言葉を、自分の行動規範としている人が多くいる。私を救い出してくれた壮年もそうだった。自分よりも、本気になって自分を信じてくれる人がいる。それは、「こうあるべき」という同調圧力などとは対極の世界だ。

〝自分の存在の正当性〟とは、「使命」という言葉に置き換えられるかもしれない。自らの使命に気づくには、その人の可能性を信じ、待ち続けてくれる人たちの存在が必要不可欠なのだと思う。安心できる居場所があるからこそ、自分を見つめ、他者に思いを寄せることで、自らを大きく成長させていけるのだ。

いま、「生きづらさ」を抱えながら、人知れずもがいている人たち。そんな人を一人でも多く見つけ出し、希望を送れるような対話に挑戦したい。それが私を支えてくれた全ての人への恩返しであり、使命だと思うから。

※R2児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果