“想い”を“つむぎ”言葉にする――ドラマ「silent」から考える

ついに、この日が来てしまいました。
そう、ドラマ「silent」の最終話が、今晩放映されるのです。
主要な民放ドラマは、可能な限りチェックする私だけの、一大事ではありません。「silent」は、芸能人ら多くの人たちが“ファン”を公言する、社会現象といって良いほどの反響を得てきました。

ざっくりドラマのあらすじを書くと――。
 
主人公の青羽紬(あおば・つむぎ/川口春奈)と佐倉想(さくら・そう/目黒蓮)は、高校時代、共通の友人を通して距離を縮め、付き合うことに。しかし卒業後、想は突然、理由も言わずに別れを告げ、姿を消してしまいます。
それから8年がたったある日、二人は偶然、再会を果たします。想は、徐々に耳が聞こえにくくなる“若年発症型両側性感音難聴”を患っていました。紬は、聴力を失った想が向き合う現実を、目の当たりにしていきます。

言葉のもつ多面性

このドラマには、二人の間で“恋愛感情が深まっていく”こと以上に、大事なメッセージがあると私は思います。その一つが、「言葉」の重要性です。
私たちが普段、特に意識することなく使いこなしている「言葉」。その当たり前を奪われたとき、人は何を感じて生きるのか。「言葉」はどんな意味を持つのか――。

第1話で、青羽紬が、偶然再会した佐倉想に、声を掛けるシーンがあります。この時点で、紬はまだ、想の耳が聞こえなくなったことは、知りません。必死に呼び掛け、想の手を取り、語り続ける紬。想は、涙ながらに手話で語りました。

 想(手話)「何言っているか わかんないだろ? 俺たちはもう話せないんだよ」
 紬(声)「待って!」
 想(手話)「うるさい。お前、うるさいんだよ」

二人の圧巻の演技に、胸揺さぶられたという視聴者が多くいるようです。もちろん私も、その一人。そして同時に、私はこの「うるさい」という言葉に、重みを感じてなりません。
この「うるさい」。ドラマの冒頭のシーンと重なっていました。高校時代の紬が、「雪降ると静かだよね! ねっ! 静かだよねっ?」とはしゃぐのを見て、想は、笑顔と優しいまなざしで、「うるさい。青葉の声うるさい!」と語るのです。

同じ言葉であっても、相手の置かれた状況によって、多面的な意味を持つことがあります。「silent」の特徴は、このように場面を変えながら、登場人物が何度も同じ言葉を繰り返すことです。シーンごとに、その意味合いが変わっていく。相手に伝わる時もあれば、伝わらない時もある。

このことは、人と人とのコミュニケーションは、「何を言うか」だけで成立しているわけでないことに、気付かせてくれます。

心の思いを響かせて

「何を言うか」とともに、「何を伝えたいか」「どんな想いを込めて語るか」。これらが一つになって、初めて、コミュニケーションは成り立つのだと、改めて思います。

日蓮大聖人は仰せです。
「言葉というのは心の思いを響かせて、声に表したものをいうのである」(御書新版713ページ・御書全集563ページ、通解)
「たとえ厳しい言葉であっても人を助ければ真実の言葉であり、穏やかな言葉である。たとえ穏やかな言葉であっても人を誤らせれば誤った言葉であり、厳しい言葉である」(御書新版1194ページ・御書全集890ページ、通解)

言葉は、「心の思い」を表す。そうであればこそ、相手を想いやる気持ち、理解しようとする心と行動を育んでいく、つまり、“想い”を“つむぎ”ながら、言葉もまた、深みを増していくのでしょう。
その心と行動を鍛錬しているのが、日々の学会活動だと思えてなりません。
 
学会では、お互いの気持ちや、置かれた状況を大切にしています。私の地域の男子部の会合も、“一人一言コーナー”などを通して、相手の話を聞き、何に悩み、挑戦しているかを分かち合う場となっています。目の前の人への想いをつむぎ、それを自分の言葉に表して、励ましを送っています。

時には会合や、訪問・激励を通して。また時には、オンラインで話したり、手紙を書いて渡したり。あらゆる形で想いを届ける、学会活動の価値を再認識することができました。

ドラマを見終えたら、早速、地域の同志に、元気を送れるような言葉を掛けてみようと思います。

この記事のtag

#メディア #活動