「宗教2世」って海外ではどうなの?

昨年、あれやこれやと論じられた(時にデマや陰謀論が混ざった)「政治と宗教」「宗教2世」の話題。
やや下火になっているようにも見えますが、ネチネチと憶測や証拠不十分な見解を発信し続けている人やメディアも見られます(一部の週刊誌は、一部の人間のデマをそのまま掲載)。
ふと思いました。この話題、こんなに長続きするのって、日本だけなのでは??

海外出身の学会員にアンケート

検証するために、アンケートをとってみました。
海外出身で、日本の事情に詳しい、青年世代の学会員です。

Aさん)イギリス出身の学会3世の男性。日本の会社で働いている。
Bさん)ブラジル出身の学会3世の女性。日本人の男性と結婚し、日本で暮らす。
Cさん)台湾出身の学会3世の男性。日本の会社で働いている。
Dさん)アメリカ出身の学会1世の女性。学会員である日本人の夫との結婚を機に入会。

まず単刀直入に、「あなたの国では宗教○世であることを意識しますか?」と聞いてみました。

冒頭から、ヒートアップしたのがAさんです。
「まず、宗教○世という表現が不自然ですね。多くの人が何かしらの宗教に属している感覚を持っているので、特定の宗教を信仰する家庭に生まれたことをなんとも思っていません。自分は無宗教であると主張する若者も多いと思いますが、とはいえ、宗教はカルチャーの一部だし、生活と切り離せないものなので、日本のように宗教を異質に扱うことはありません」

一方、Dさんは、この質問に「はい(=意識します)」と答えました。キリスト教を信仰する家庭に生まれ育ち、自らの意思で学会に入会したから彼女だからこそ、自分が「1世」であることを大切にしているようです。
ただ、そのベクトルは、あくまで「自分」に向いていて、「あの人は○世だ」と、他者に向けられてはいませんでした。「アメリカ国民の多くはキリスト教徒で、信仰はごく身近なものです。誰かのことを、わざわざ『○世』と名指しすることは、普通はありません」

続く質問は、「学会員であることを打ち明ける際に緊張しますか?」。日本では、宗教に対する偏見も根強いですが、海外ではどうなのでしょうか。

Cさんは、学会員であると人に伝える際、緊張し、勇気を出すこともあると語っていました。その理由は、「ネットに学会を誹謗中傷するような記事があるから」と。日本とは距離も近く、文化の上でも共通項の多い台湾ですが、宗教に対する世間の感覚も、似た部分があるのかもしれません。
ちなみにCさんは、緊張し、勇気を出すことは多くても、「日本ほどではないと思います」とも言っていました。台湾と日本を比較すると、やはり日本の言論空間は特殊であると感じているようです。
一方、AさんとBさんは、この質問に「全く緊張しない」と答えました。

Aさん:「たぶん大部分の人は『NO』ですね。周りも自分の宗教を持っている人が多いので、学会員であると打ち明けることは自然にできます。また、仏教と聞くと、禅や瞑想を連想する人が多く、仏教は内面を鍛えるカッコいい宗教だと思っている人も一定数いると思います」

Bさん:「ブラジルでは自然に仏法対話ができます。皆、考えがとても寛容で、互いに認め合う雰囲気があるからです。カトリックの友人と宗教の話をする際も、気負わずソフトにできます」

欧州と南米という、国民の大半がキリスト教を信仰している国々では、宗教の話をするのは当たり前、生活の一部ともなっているようです。
これらの国の人たちにとっては、宗教を“タブー視”したり、宗教に偏見を持ったりする日本人の感覚は、理解しがたいものなのだと思います。

昨今の「宗教2世」問題についてどう思う?

最後に、こうした文化背景を持つ国から日本に来た4人が、昨今の「宗教2世」問題について、どう感じているかを聞きました。

Aさん:「旧統一教会のような反社会的な団体が日本に根付いてしまったのは、日本人が宗教をタブー視し、宗教に対する理解を深めようとしなかったからだと思います。欧米諸国に比べて宗教が日常とあまりにも乖離しているため、すぐに『宗教=悪』といったレッテル貼りもしてしまうのではないでしょうか。また、昨年12月に成立した被害者救済法についても、野党が提出した法案は、政治が宗教(個人の信条)についてとやかく言う立場ではないことを理解せずに、ラインを踏み越えた内容でした。これには呆れるというか、危機感すら覚えます。外国ならあり得ない話ですね」

Bさん:「非常に嫌な気持ちで、寂しく思います。日本に長年住んでいますので、日本人が宗教について率直に話すことを恐れているのは理解していますが、現代は、自分の宗教的アイデンティティーを表現することに、もっとオープンになるべき時代だと思います」

Cさん:「自分も『3世』ですので、この言葉自体に悪い印象は全くありませんが、一部の団体の非行を利用して、他の宗教団体を事実無根の記事で攻撃したり、それを世間に拡散したりする行為に対しては、非常に不快に感じています」

Dさん:「こうした話題が何カ月も続いていることは、アメリカでは理解しがたい状況です。学会についてもネガティブなことが言われたりしていますが、学会に入会して良かったという思いは少しも揺らぎません」

「普通ではない」日本の言論空間

4人の話に共通しているのは、昨夏以降の日本の言論空間が、世界のスタンダードで見れば、いかに「普通ではない」ものかということです。やっぱりな、という感じです。
東京工業大学の西田亮介准教授は、政治と宗教の関係性に対する通俗的な(=興味本位で世間一般に受けるような)批判が過熱した理由は、日本で宗教がタブー視され、宗教に対するリテラシー(情報を読み解く力)が低いからだと述べています。(「創価新報」1月号)

興味本位で放った言葉が世間受けする「普通ではない」言論空間で、デマや陰謀論が繰り広げられていく。そこにプラスの価値が何も生まれていないのは明らかですが、それでもデマや誹謗中傷に対しては、毅然と立ち向かっていくのが、私たち青年の使命です。
人々が政治と宗教に関心を抱いているこの機会を、むしろ、コミュニケーションのチャンスと捉えて、心軽く友人に会いに行こうと思います。

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