他者が〝ひとり〟を加速させる? 〜SNS時代の人の役割〜

8月に厚労省が発表した、「厚生労働白書」が目にとまりました。テーマは「つながり・支え合いのある地域共生社会」。

コロナ禍を経て、人との接点のつくり方はバーチャル化が加速しました。
ビデオ通話をはじめ、SNSやオンラインゲームを通じて、趣味の会う人とのやりとりがより増えたというのも挙げられると思います。少し極端に言えば、自分の部屋、あるいは手元だけで自分の世界をつくりあげられる。

自由に、どこでも、スマホやネットを駆使する我々は、孤独とは無縁なのだ……と大みえを切れるかと思いきや、白書を見るとそうでもなさそうなんです。

潜在的な孤独感

資料には、内閣官房が2万人を対象に行った「孤独感の把握」の調査がありました。

調査方法は〝孤独感がある/ない〟と直球で聞く直接質問と、「孤独」というワードを使わず、〝頼れる人がいないと感じるか〟〝本当に自分を理解してくれる人がいると感じるか〟など、いくつかの質問に回答して孤独感を測る間接質問。

昨年度のデータによると、直接質問に対して〝孤独感を感じる〟という趣旨の項目に答えている20代と30代は、それぞれ47.9%と45.9%。間接質問になると、52.9%と58.1%。30代は6割近くにもなる。ここには、無意識に感じている〝潜在的な孤独感〟があるのではないかと思いました。

関わったがゆえに?

これは、私の猛省した話です。

創価学会の活動を始めて間もないあるメンバーに信心の魅力を語ろうと、これまで自分が祈って、かなったことについて話していました。こんな場所に行けた、あんな人と会うことができたなど、拙いなりにも「題目ってすごいんだ」という実感を、自分なりに熱っぽく伝えていたつもりでした。

ですが、メンバーの顔はだんだん曇っていき、「セイノジさんみたいには、自分なれないっすよ」と。なんだか逆に自信を失わせてしまったような雰囲気に。「そんなことないよ」と続けようとするも、もう私の話が彼に入っていく空気はなく… …。

一緒に頑張ろうという意図が、逆に寂しい思いをさせてしまったように思いました。

比較対象にあふれた時代

その後、教職に就く先輩と話す機会が。
クラスの子どもたちに抱く印象を話してくれました。

「SNSを見て自信をなくす子が多くなってる気がするんだよね」
ユーザーが発信する〝充実〟の投稿に、自分の今と比較して落ち込む生徒が増えていると言うのです。

ハッとしました。先述のメンバーとのやり取りでも、私は信心の確信を話しているようで、自分の感じている〝充実〟をただ押し付けていただけだったのかもしれないと。


SNSの発達は、間違いなく他者との接点を増やしてきました。
一方で、その膨大な比較対象の増加に心が追いつかず、自分の存在を矮小化してしまうという現象も起こしているのかもしれません。

自分を信じられる自分づくり

情報過多な時代に、創価学会で生きる一人の他者としてどんな役割が果たせるのか。
今も模索し、反省のくり返しです。

最近、手応えを感じたのは、結果より過程で得たものを伝えること。
祈りがかなう過程で、何より〝かなえたい気持ち〟そのものを信じられる自分になれたことが、大きな変化だと思ったからです。

SNSが結果を強く押し出す媒体なら、そのウラに隠れている成長や変化といった物語的プロセスを、時間をかけて伝えられるのが人間の触れ合いではないでしょうか。

相手の見ている世界を知っていきながら、〝自分を信じられる自分づくり〟の身近なモデルケースになれるよう、自身をもっと磨いていきたいところです。

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