発達障がい(ADHD)グレーゾーンの〝僕〟だからこそ〈上〉 ▶︎「お前はいらない」への〝防衛術〟

3度目の機会をいただいた。
学生時代についてつづった「〝僕〟といたしましては」、生きづらさに対抗する〝名付け戦法〟を紹介した「〝僕〟であるからして」に続いて、今回はルーツというか、もう少し過去の体験から書き起こしてみたい。

それは今も向き合い続けている話。
そして〝僕〟がこれまでより少し、自分を肯定できる気がした話。

◆◇◆

小学校の休み時間。
手をバット代わりにボールを打ち合う「手打ち野球」が流行った。
さっきまで接戦に盛り上がっていたグラウンドは、〝僕〟の空振り三振がもとで静まり返っていた。

「お前、もうやめろ」

選球のセオリーが分からない〝僕〟は、全ての球を振ってしまう。
逆転のチャンスをものにできず、その場で〝戦力外通告〟を申し渡された。

またある時は、教室でドミノ倒しが流行った。
完成が近づくにつれ、緊張感が増してくる。その高揚感に気が急いて、次のドミノを立てようと震える〝僕〟の指が、すでに待機中のピースに思わず触れてしまう。

「カタカタカタカタ……」
それは信頼が倒れていく音。

「お前、もういいよ」

〝人と友達でいるには条件がある〟。〝僕〟が小学校で得た一つの教訓だ。
〝ここぞ〟という場面でホームランを打てることだったり、完成間際にこそ冷静にドミノを立てられることだったり。
当時の〝僕〟に、それらはとても難しいことに思えた。

中学でも、高校でも、この時の記憶は思いのほかまとわりついてきた。
何かやらかすたび、より色濃く。いつ、誰から不要だと言われるか。それを避けることが、いつしか〝僕〟の行動原理になっていた。

人は独りでは生きられない──それは〝僕〟にとって、生きている以上、誰かに「いらない」と言われる(あるいは思われる)可能性は避けられないということ。

だから〝僕〟は、本心とは別に、反射的に相手に同調(「〝僕〟といたしましては❷〜イエスマンのジレンマ〜」に詳しく)することでダメージを緩和しようと努めた。

この〝防衛術〟を、大学生になった〝僕〟は学会活動にも向けていた。
こんなにできないことだらけの自分は、周りが情けで黙っているだけで、本来なら今にも「いらない」と言われるんじゃないか。

仲間との出会いの中で少しずつ楽しさを感じながらも、心の奥底では常に怯えていた。

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#体験談 #グレーゾーン

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