発達障がい(ADHD)グレーゾーンの〝僕〟だからこそ〈下〉・完 ▶︎霧の向こうにいたのは……

〝僕〟がこのコラムを書き始めた時というのは、正直、自分にとってかなり〝しんどい時期〟だった。
地元組織のリーダーとして、規模としてはかなり広い範囲を担当していたからだ。

学会では人間的な成長の機会として、リーダーを務める機会がたくさんある。ホウレンソウ(報告・連絡・相談)はじめ、会合やさまざまな活動の運営を責任者として同時に進めなくてはならない。
毎日が何かしらの期限というような日々。
例のごとく、〝やらかし〟のオンパレードなわけである。

〝もっと適任な人がいる〟と自分でも思うし、周囲もそう思っているだろうと、「独り反省会」を繰り返す日々。もう消えてしまいたいと思わなかった日は、一日としてなかったように思う。そうした中で原稿に向かい始めた。

これまでを思い返すと、小学校での日々が、他のどの記憶よりも色濃く浮かんでくる。

「もうやめろ」「お前、もういいから」。〝あの時〟から、頭の中で何度も繰り返されてきたセリフ。

中学、高校、大学、社会に出てからも、新しい出会いの中でかけてもらった励ましや優しい言葉も、この記憶がフッと湧いた瞬間、信じられなくなってしまう。キーボードを叩きながらそう思い立った時、〝僕〟は何に怯えていたのかにようやく気づいた。

自分に関わる人たちにだと、はじめは思っていた。
でも本当は、〝僕〟は〝僕〟そのものに怯えていた。どう足掻いても相手の思う自分になれず、幻滅するばかりの〝僕〟自身に。

きっと書き出してみないと、分からなかった。

今までは、霧のように実態を持たず、次々に姿を変える敵と戦っているような感覚だった。そこに、過去の自分を好きになれないままとどまっている〝僕〟が、文字という明確な形を借りることで浮かび上がった。

「もうやめろ」「もういいから」という他者の言葉に、いつからか〝僕〟は「またやらかしたな」とつけ足すようになっていた。そうして自分を許さないことで、自分の立ち位置を納得させていた。周囲と心から交わらないことと引き換えにして。

ただ、生きていれば、明日も、明後日もやって来る。
一生自分を許せないままなら、同じ悩みをループするしかない。
〝変わりたい〟。誰の役にも立てないことだらけだけど、そう望んでも良いものなのか。その権利を付与するのも、最後は自分なのだと思った。

その後、何か変わったかといえば、外面的な変化は特にない。
〝やっちまった〟〝うわぁ〟の繰り返し。でも〝僕〟は生きている。どうしようもなく。
生きているなら、次があるってことだ。
それは〝前よりちょっとウマくいったな〟って思えることかもしれないし、〝またやったな〟という失敗のリプレイかもしれない。

ただ、何より生きている。コラムを書きながら、〝僕〟は〝僕〟自身を許して、その事実を改めて受けとめてみようと思った。やらかし続け、これからもそうかもしれない自分じゃなく、諦めたくないと感じている〝僕〟で、もう一回、歩き出してみる。

その先にどんな日々が待っているのか。
なんだか、ちょっと楽しみだ。

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#体験談 #グレーゾーン

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