目標を達成するカギ #御書のまなざし

新年が幕を開けて約3週間。年頭に目標を立て、順調に進んでいる人もいれば、思うように進まない人もいるかもしれません。

目標は、「目的を達成するために設けた、めあて」(『広辞苑』第7版、岩波書店)。当然として、立てた時点では達成できていないものであり、挑戦が必要です。

立てた目標を達成するためには、何が大切なのでしょう。日蓮大聖人の御書に、そのカギを探ってみます。

菩薩が立てる誓願

創価学会員は「仏法即社会」「信心即生活」という理念のもと、信仰実践を根本に、仕事や学業などの実生活における目標を大切にしています。

その上で、仏法における目標とは何でしょうか。

大聖人は「菩薩と申すは、必ず四弘誓願をおこす」(御書新版632ページ・御書全集522ページ)と仰せです。この四弘誓願(注1)が、菩薩(大乗仏教の修行者)の根本的な目標と言えます。

(注1)四弘誓願[しぐせいがん・しぐぜいがん]
あらゆる菩薩が初めて発心した時に起こす4種の誓願。①衆生無辺誓願度[しゅじょうむへんせいがんど](一切衆生をすべて覚りの彼岸に渡すと誓うこと)、②煩悩無量誓願断[ぼんのうむりょうせいがんだん](一切の煩悩を断つと誓うこと)、③法門無尽誓願知[ほうもんむじんせいがんち](仏の教えをすべて学び知ると誓うこと)、④仏道無上誓願成[ぶつどうむじょうせいがんじょう](仏道において無上の覚りを成就すると誓うこと)。

中でも四番目の仏道無上誓願成は、成仏への誓いであり、仏法の大切な到達点です(「成仏ってなに? 2022年2月度座談会拝読御書『一生成仏抄』」を参照)。大聖人も「日蓮は少きより今生のいのりなし。ただ仏にならんとおもうばかりなり」(御書新版1590ページ・御書全集1169ページ)と仰せであり、若い時から仏の境涯に至るために修行に生きてきたと述べられています(「期待のチカラ 2022年7月度座談会拝読御書『四条金吾殿御返事(世雄御書)』」を参照)。

魔王の巧妙な作戦

しかし、仏道修行の途上には、たくさんの“邪魔”が登場します。「三障四魔」(注2)と言い、最も手ごわいのは四魔の四番目にいる「第六天の魔王」です。いわば“魔のボス”。

(注2)三障四魔[さんしょうしま]
正法を信じ行ずる時、信心の深化と実践を阻もうとする働き。
【三障】「障」とは、障り・妨げの意。①煩悩障[ぼんのうしょう]。自身の煩悩が信心修行の妨げとなること。②業障[ごうしょう]。悪業によって生ずるものごとが信仰や仏道修行への妨げとなること。③報障[ほうしょう]。過去世の悪業の報いとして現世に受けた悪い境涯が仏道修行の妨げとなること。
【四魔】「魔」は、修行者の生命から妙法の当体としての生命の輝きを奪う働き。①陰魔[おんま]。修行者の五陰(心や肉体の働き)の不調和が妨げとなること。②煩悩魔[ぼんのうま]。煩悩が起こって信心を破壊すること。③死魔[しま]。修行者の生命を絶つことで修行を妨げようとする、また修行者の死をもって他の修行者を動揺させて信心を破ろうとすること。④天子魔[てんしま]。他化自在天子魔[たけじざいてんしま]の略。他化自在天王(第六天の魔王)による妨げで、最も本源的な魔のこと。

第六天の魔王は、成仏を目指す修行者を邪魔したくてしょうがありません。そんな第六天の魔王が、手下の者たちに命令する言葉を、大聖人は次のように記されています。

本文

「各々ののうのうに随って、かの行者をなやましてみよ。それにかなわずば、かれが弟子だんなならびに国土の人の心の内に入りかわりて、あるいはいさめ、あるいはおどしてみよ。それに叶わずば、我みずからうちくだりて、国主の身心に入りかわりておどしてみんに、いかでかとどめざるべき」

(御書新版2011ページ・御書全集1487ページ)

意味

(第六天の魔王が次のように命令を下す)「それぞれの能力に応じて、あの行者を悩ましてみよ。それが成功しなければ、あの弟子檀那、および国土に住む人々の心の中に入り替わって、あるいはいさめ、あるいは脅してみよ。それでも駄目であったならば、私が自ら降りていって、国主の身心に入り替わって、あの行者を脅してみせよう。そうすれば、どうして止められないことがあろうか」

第六天の魔王は、まず手下の者たちを動かし、①彼らができることで修行者を悩ませます。うまくいかなければ、②まわりの人々の心に入り込んで修行者をいさめたり脅したりさせます。それもうまくいかなければ、③第六天の魔王が自ら国主(=修行者が逆らえない存在)の身心に入り込んで修行者を脅します。第六天の魔王は「これで修行者を止められるぞ!」と自信満々。確かに、こんな巧妙な作戦をされたら、修行をやり抜くのは簡単ではありません。

これらは仏法の眼から見た魔の働きですが、大きな示唆を与えてくれます。目標へ進む途中で起こってくる障害は、時に思わぬ形で、知らず知らずのうちに押し寄せてくるということです。

たとえば仕事の目標。もちろん現在の状況から、達成自体が難しいこともあるでしょう。それに加えて、職場でのトラブルや人間関係の悪化もあれば、趣味など仕事以外のことに夢中になったり、何かの不安から仕事が手につかなくなったり…。事故、病気・けが、家族の悩みもあるかもしれません。想定外のところから、あるいは、それとは分からないうちに、壁が立ちはだかってしまうことがあるのではないでしょうか。

そうした障害が起こっても、乗り越えていくには、どうすればよいのでしょうか。

「自慢」「悪見」を排して

成仏への道のりを歩み通す姿勢について、大聖人は次のように仰せです。

本文

皆人のこの経を信じ始むる時は信心有るように見え候が、中ほどは信心もよわく、僧をも恭敬せず、供養をもなさず、自慢して悪見をなす。これ恐るべし、恐るべし。始めより終わりまで、いよいよ信心をいたすべし。さなくして、後悔やあらんずらん。譬えば、鎌倉より京へは十二日の道なり。それを十一日余り歩みをはこびて、今一日に成って歩みをさしおきては、何として都の月をば詠め候べき。何としてもこの経の心をしれる僧に近づき、いよいよ法の道理を聴聞して、信心の歩みを運ぶべし。

(御書新版2063ページ・御書全集1440ページ)

意味

皆、人がこの法華経を信じ始める時は、信心があるように見えるけれども、中ほどになると信心も弱く、僧をも敬わず、供養もせず、慢心を抱いて、悪い考えを起こしてしまう。これは恐れるべきである、恐れるべきである。
初めから終わりまで、いよいよ信心を貫くべきである。そうでなければ後悔をしてしまうであろう。たとえば、鎌倉から京都へは、十二日を要する道のりである。それを十一日ほど歩いて、あと一日というところで歩くことをやめてしまったならば、どうして都の月を詠ずることができようか。何としてもこの経の心を知る僧に近づき、いよいよ仏法の道理を聞いて信心の歩みを運ぶべきである。

鎌倉から京都まで歩けば12日。しかし、あと1日で止まってしまえば着きません。この御文は、なぜ人は目標に到達できないのか、その理由の一つを示していると言えます。

それは「自慢して悪見をなす」。最初は確信があっても途中で弱まり、慢心を抱き、誤った考えに染まってしまうことです。障魔が、知らず知らずのうちに邪魔をしているのです。

京都まで歩くたとえで言えば、「ここまで頑張ったから、もういいや」と満足してしまうこと、途中の景色に見とれたり遊んだりして油断してしまうことは、まさに慢心。自信がなくなって「もう歩けない…」と卑屈になってしまうことも、自分の可能性を自分で否定している(見くびっている)点で、慢心の一つと言えるでしょう。いつしか、本来の目標を第一に考えられなくなってしまいます。

では、最後のゴールまで歩み抜くカギは何か。「始めより終わりまで、いよいよ信心をいたすべし」――最後まで初心を忘れないこと、むしろ、日々ますます決意を強めていくこと。それによって慢心や悪い考えを排し、障害を乗り越えていこうということです。

御文では、「この経の心をしれる僧」に近づきなさいと仰せです。これは法華経の心を知る僧、すなわち大聖人のことです。(なので「僧をも恭敬せず」の「僧」も同じ。大聖人は何度も、法華経の心に背く謗法の僧を批判されていますので、出家僧なら誰でも良いというのではもちろんありません。この御文をもって短絡的に「在家は出家を敬え!」と言う人がいますが、それは大聖人の心に背いていると言えます…)

つまり、目標へ歩み通すためには、初心を思い起こさせ、ますます強めさせてくれる存在、仏法でいう「善知識」(注3)が必要なのです。

(注3)善知識[ぜんちしき]
よい友人・知人の意。「知識」とはサンスクリットのミトラの訳で、漢語として友人・知人を意味する。善知識とは、仏法を教え仏道に導いてくれる人のことであり、師匠や、仏道修行を励ましてくれる先輩・同志などをいう。

目標への挑戦を励まし、「いよいよ」の決意を起こさせ、応援してくれる存在を大切にしながら、ゴールまで歩み抜いていきたいですね!

御書のページ数は、創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集 新版』(御書新版)、『日蓮大聖人御書全集』(御書全集)のものです。

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