発達障がい(ADHD)グレーゾーンの〝僕〟といたしましては② 〜イエスマンのジレンマ〜

〝僕〟は誰に何を言われても、イエスしか言わなくなった。
どう思っているかはさておいて、人の言うことに合わせるだけ。
自分で自分の意思を信じなくなった。

そうして大学に入ると、ある日、学生部の先輩が訪ねてきた。
「集まりに来てみない?」「はい」
「学会について友人に話してみない?」「はい」
創価学会の学生部では、同世代で学会の教義を学んだり近況をシェアし合ったりする会合や、布教活動を行うようになる。〝僕〟は自分で決めたルールに則って、先輩に従った。

まわりからは素直に見えたかもしれない。
ただ内心は、〝断って嫌な思いをさせたくない〟という消極的なものだった。

「すごいね!」
学生部活動に参加し始めてから、どこへ行くにも、しつこいほどにそう声をかけられた。
題目を唱えたと言えば「すごいね!」
会合に顔を出せば「すごいね!」
友人に学会の話をすれば「すごいね!」

〝いったい何がすごいんだろう〟
池田名誉会長は、学会活動に励む同志を敬うことこそ「創価の永遠の精神である」と述べている。学会には入会歴や経験値にかかわらず、学会活動に励む人を〝讃える文化〟が根付いている。

だが一方で、〝僕〟は常に不安にかられていた。
〝何かしくじったら、余計にがっかりさせてしまうだろうな〟。かけられた期待を不意に裏切ってしまう恐怖が先に立った。

不安は的中した。
会合の日程を忘れる。人と会う日程を忘れる。SNSでグループをつくると、中に招待すべき人を忘れる。このままではいけないと、手帳やメモ帳などリマインドできる環境を整えようと試みるも、終いにはメモした事実さえ忘れてしまう。こんなことが毎日のように続く。約束していた相手の残念そうな表情を見るたび、このまま消えてしまいたいと思った。

学会活動を頑張ろうとすればするほど、人にかける迷惑の数が増えていく。
当時、発達障がいという概念のなかった〝僕〟は、自分はおかしいんだと、それまで誰にも言い出せずにいた。

大学4年の時、ふと目にしたインターネット上のサイトでその存在を知り、クリニックを受診した。「ADHD(注意欠如・多動症)の傾向がありますね」
そう医師に言われ、理由があったことにホッとする気持ちと、今後もずっと続くのだという不安が同時に去来した。

〈③へつづく〉

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