【「創価新報」転載 】「東村山デマ事件」の真相

今や、世界192カ国・地域に広がる創価学会のスクラム。その途上には、学会の発展を妬み、阻もうとする勢力が常に存在した。

日蓮仏法の哲学を基に、「人間を強く、善く、賢く」する学会の民衆運動に対して、一部の権力者やジャーナリストらは恐れと反感を抱いて邪宗門の僧や退転者と結託し、悪質なデマや策略によって迫害を加え続けた。「仏と提婆とは身と影とのごとし」「法華経の行者あらば、必ず三類の怨敵あるべし」(新111・全230)との御聖訓の通りである。

しかし学会は、根も葉もない誹謗・中傷を悠然と見下ろし、「目の前の一人を大切にする実践」と「破邪顕正の言論闘争」で民衆勝利の凱歌を轟かせてきた。

新連載「正義の旗高らかに――未来へつなぐ破邪顕正のバトン」では、各裁判における判決などの客観的な資料や事実に基づいて「正義の広布史」を繙きながら、創価学会を取り巻く諸勢力の“謀略の構図”と学会の真実を明らかにする。

連載の第1回は「東村山デマ事件」。この事件が起こった1995年当時を振り返りながら、その真相に迫る。

事件の経緯

1995年9月1日午後10時ごろ、東京・東村山市に住む朝木明代が、マンションの5階と6階の間の踊り場から転落。翌2日午前1時に死亡した。

朝木は、同年4月の統一地方選挙で3選を果たした現役市議。当時、同選挙で共に当選した娘・直子の「議席譲渡問題」によって、物議を醸していた「草の根市民クラブ」のメンバーでもあった(同問題の詳細はメモA)。

司法解剖の結果、直接の死因は「出血性ショック死」。東村山警察署は当初、自殺と他殺の両面から捜査を始めたが、警察犬を導入して入念な現場検証と捜査を続けた結果、他殺であるとの確証は得られなかった。

むしろ警察は、転落した朝木が発見者の呼びかけに対して「大丈夫です」と返答し、救急車の手配の申し出を「いいです」と断っている点、現場付近で争うような声や物音を聞いた者がなく、衣服や身体に人と争った跡や外傷がない点、階段踊り場の防護壁の上面に指が擦れた跡が発見された点などを根拠に、他人が介在した状況はないと判断し、「事件性は薄い」と発表。新聞各紙の第一報も、犯罪性がないことを客観的な事実とともに報じている。

ところが、こともあろうに、朝木が学会中傷を繰り返していた議員だったことに目をつけ、この自殺を創価学会が関与する“他殺”だったかのような報道が週刊誌を中心に過熱した。

転落死後、最初に発売された「週刊新潮」(同年9月14日号)は、「東村山女性市議『転落死』で一気に噴き出た『創価学会』疑惑」という大見出しで掲載。このガセネタを最初に同誌編集部に持ち込んだのが、自称ジャーナリストの乙骨正生である。その乙骨に朝木の死を知らせたのが、朝木の同僚市議の矢野穂積だった。

「矢野市議の電話が、私のもとに入ったのは二日の午前六時。矢野氏は、絞り出すような声で朝木さんの死を私に伝えた。『朝木さんが殺されました』」(「文藝春秋」同年11月号)

つまり、矢野は乙骨に、警察が捜査を始める前の段階から「殺された」と断定し、伝えていたのだ。そして乙骨も、その真実性について自ら調査して裏付けを取ることなく週刊誌に売り込み、邪推と臆測に満ちた自身のコメントまで載せてデマを喧伝した。学会を陥れるためなら「事実」や「真実」はどうでもいい。その習性は、後に法廷で厳しい追及を受け、ことごとく断罪されている。

また当時、特に悪質だったのが「週刊現代」同年9月23日号だ。タイトルは「夫と娘が激白! 『明代は創価学会に殺された』」。朝木の夫・大統と娘・直子の一方的なコメントを中心に構成している。

「創価学会はオウムと同じ」「自殺したようにみせて殺すのです。今回で学会のやり方がよくわかりました」(娘・直子)

「創価学会に殺されたんですよ」「妻が万引き事件で逮捕されたことも、学会におとしいれられただけ。万引き事件で悩み、それが原因で自殺したというシナリオを作ったんです」(夫・大統)

ちなみに、夫の言う「万引き事件」とは、朝木が地元の洋品店でTシャツを万引きしたとして、同年7月に窃盗容疑で書類送検された事件のこと。朝木らは“でっち上げだ”と主張したが、警察は現場検証や複数の目撃証言などによって、朝木のアリバイや証拠物件が“偽物”であることを見破っていた(同事件の詳細はメモB)。

そして、朝木の転落死は、東京地検八王子支部への出頭を4日後に控えていた時の出来事だった。そのため、「(長女の)当選辞退や万引問題などで精神的に疲れたのでは」(「産経新聞」同年9月3日付)との市民の同情の声まで報道された。

しかし「週刊現代」の記事は、親子の荒唐無稽な作り話を一方的に羅列したものだった。「オウムと同じ」「自殺したというシナリオを作った」という具体的な根拠は何一つ示されていない。にもかかわらず、「万引き事件」も「転落死」も“学会が仕組んだ陰謀”などと、あたかも学会がオウム真理教と同じ犯罪集団であるかのように印象づける捏造記事を書き連ねた。

検察は“他殺の確証なし”と26年前に捜査を終結
司法の場でも厳然と決着

学会は直ちに「週刊現代」に厳重抗議するとともに、同誌の編集長(当時)と朝木の夫と娘を名誉毀損で刑事告訴。さらには、この3人と発行元の講談社に対し、損害賠償を求める民事訴訟を起こした。

警視庁はその後も捜査を続け、朝木の転落死について「他人が介在した状況はなく、犯罪性はない」として、同年12月22日に発表(具体的な理由はメモC)。

東京地検八王子支部も97年4月14日、1年半に及ぶ捜査の結果、「自殺の疑いが相当ある半面、他殺との確証は得られなかった」との最終判断を下し、捜査を終結している。

それでも、乙骨や矢野、朝木の夫と娘らは、そうした事実を一切無視し続けた。さらには、転落死を掲載した週刊誌をそのまま読み上げ、国会質問を行った代議士まで現れる始末。オウム事件を引き合いに、さも学会がオウムと同じ反社会的団体であるかのように――。

しかし、所詮、デマはデマである。「週刊現代」に関する裁判で1審の東京地裁は、講談社側に「謝罪広告」の掲載と200万円の損害賠償を命令。続く2審の東京高裁は2001年5月、1審判決を支持しつつ、記事でデタラメなコメントをした朝木の夫と娘の責任も認定し、親子にも講談社と連帯して200万円の損害賠償と「謝罪広告」の掲載を命じた。

そして02年10月、最高裁は講談社、朝木親子の上告を棄却し、2審判決が確定する。200万円という賠償だけでも当時としては高額だが、この種の裁判で個人に対して「謝罪広告」の掲載まで認めるケースは極めて珍しい。2人の発言が、いかに悪質なものであったかを示す証左である。

また、学会が「週刊新潮」の捏造記事を訴えた裁判では、東京地裁が01年5月、発行元の新潮社と編集長(当時)に200万円の損害賠償を命令。控訴を断念した新潮側の敗訴が確定した。

他にも、矢野らが発行する「東村山市民新聞」を含む、創価学会が提訴した名誉毀損裁判3件全てで学会側が全面勝訴。さらには、矢野や朝木の娘らが言いがかりをつけて起こした名誉毀損裁判も、ことごとく矢野側が敗訴している(主な裁判結果はメモD)。

「火のないところに煙を立てた」悪逆非道のデマ騒動は、法廷の場でも木っ端みじんに打ち砕かれたのである。

 (「東村山デマ事件」の時代背景は時代背景

今も変わらぬ“謀略の構図”

転落死から28年。その間、矢野や朝木の遺族らは執拗に“他殺説”を唱え続けてきた。最近も、公職の身(東村山市議)である娘の直子が、自身のSNS等で声高にそれを示唆する発信を繰り返している。

直子らが辛うじて、他殺の主張の根拠としているのが、朝木の司法解剖鑑定書に左右上腕内側部に皮下出血を伴う皮膚変色部(アザ)があり、朝木が何者かと争ったすえに殺された、というもの。

これについても、東京高裁は、朝木が上腕を強くつかまれた可能性があるだけであり、「他人に突き落とされて本件転落死したことまで推認できるものでないことは明らかである」と指摘。「転落死が殺人事件であると認めることは到底できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない」(2009年1月29日判決)と明確に一蹴している。

いくら“蒸し返し”を図ろうとしても、司法の判断は厳然と下されているのである。

先の「週刊現代」に関する裁判において、朝木の遺族らに対し、“その証言及び供述は信用することはできない”とし、週刊誌に対しては「当事者の一方のみに偏った情報を流すだけの報道は、民主主義社会において尊重されるべき紛争報道の名に値しない」とした判決は、「東村山デマ事件」の本質を見事に言い当てている。

学会憎しの一点で事実をねじ曲げる輩、それを臆面もなく世に発信する一部メディアやライター、さらにそれを“政争の具”に利用する政治家――こうした“謀略の構図”は、今も昔も変わらない。

例えば最近も、「週刊新潮」は「財務の額はおおむね収入の1割が目安」などと虚偽報道した。そのコメントを寄せた長井秀和が、朝木直子や乙骨らから支援を受け、昨年の西東京市議選に出馬。街頭演説で東村山市議の転落死は、学会による他殺であるとの事実無根の発言を行った。学会は名誉毀損を理由に東京地裁に提訴している。

デマを放置することは、デマを増長させ、人々と社会を混乱に陥れる。だからこそ虚偽を暴き出し、打ち砕く真実の声が、社会を健全化に導く。“どんなデマも断じて許さない”との強き一念で、正義の師子吼を放ち続ける。

(「創価新報」1月18日付より転載)

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